終末期の方への自費リハという選択
こんにちは、終末期作業療法士の藤田です。
常日頃、緩和ケア病棟の患者様と関わっていますが、勿論自宅退院される方もおられます。
その中で言われた言葉
「退院してからどうしよう、リハビリもないし、訪問リハは週1回、初対面の人だったりするのも心配だ」
そして言われた言葉
「藤田さん、うちには来てくれないの?」
先日の意見交換会でも同様のエピソードを耳にしました。
その言葉に対して私は契約の問題をやんわりと盾にしながら「できない」と答えていました。
退院し、最期の時間を家で過ごす。
その生活の中にリハビリを加えたいという患者様の医療選択の自由をこちらの都合で潰してしまってよいのだろうか?
終末期医療の分野に携わり10年、色々な方に出会い、色々な方の遺志や生き方を託されている者として
これから最期を迎える方が最期まで生きる権利と死ぬ権利を保障されていく社会を作る為に、動いていく必要があると思いました。
患者様が、最期の時間を自分が選択した方法で迎えるため、医療者の都合でリハビリの有無を決めないために
自費での終末期患者様のための訪問サポートを行うことにしました。
とはいっても、私の仕事がない水曜日限定になりますし、自費である以上病院での診察以上にお値段はかかります。
勿論法律的には合法ではありますが、自費診療を行う際は病院の所属ではなくなるため、様々な障害があることも理解はしています。
藤田の今の仕事は非常勤であり、その分身軽に色々なことができると考え、このような結論になりました。
突飛なことを言っているのかもしれませんし、批判的なご意見もあるかもしれません(現に終末期リハ自体に対しても否定的なご意見を言われることもあります)
しかし、「藤田さんに見てもらいたい、専属契約はできないのか?」と希望されながら、私の都合であきらめなければならず、亡くなられた方が何人もいる現状も事実です。
先日ふと思い始めたばかりなので、具体的なことは今後詰めなければなりません、HPは現在作成中ですので追ってこちらで報告します。
終末期リハビリテーション講習会情報はこちら↓
kanwakea-fujita.hatenablog.com
意見交換会を行いました
こんにちは、終末期作業療法士の藤田です。
終末期におけるリハビリテーション⑤ 生活意欲の向上
こんにちは、終末期・緩和ケア作業療法士の藤田です。
諸事情ありまして、前回更新からだいぶ期間が空いてしました。facebookのほうでは時々つぶやいていますので、そちらもご参照ください。
今回は前回の続きになる
「生活意欲の向上」になります。
前回の記事はこちら
kanwakea-fujita.hatenablog.com
生活意欲の向上とは?
生活意欲の向上というと、何となくイメージが湧く人も多いとおもいます。
平ったくいうと「やる気が出てもう一度活動をはじめる」なのですが、終末期の分野において「復権」の意味合いがより強まります。
生きる・死ぬ権利を取り戻す重要な事柄
何度も書いておりますが、リハビリテーションの本質とは、「治すこと・よくすること」ではなく「人としての権利を取り戻すこと」です。
終末期リハビリにおいての生活意欲の向上とは、「ふたたび人として生きる権利・死ぬ権利を取り戻すための重要な事柄」であるとも考えられます。
リハビリでできること
生活意欲を向上させるためにリハビリでできることは様々です。
①歩行練習 ADL訓練を用いたアプローチ
恐らく最もリハビリが得意とするものでしょうか、患者様のHOPEになりやすい部分へアプローチし、歩けること、トイレに行けることができる、もしくはできる見通しが立つことで、これからの自分の生き方に向き合う「生活意欲が向上する」につながります。
②対話を用いてのアプローチ
残念ながら現在の医療では入院することで人は弱者とみなされる構造になることが非常に多いです。
高齢の入院患者様に対してまるで赤ちゃん言葉のような話し方をしたことはありませんか?
「入院したら子供扱いされた、私に人権はないのか?」実際に患者様から言われた言葉です。
リハビリは治療構造上一対一になることが非常に多いです。だからこそ対話という者には十分に配慮しなければなりません。その為には以前書いたようにTh個人の自己分析も必要になります。
患者様が心情を言語化し、今後の生活への見通しにつなげることは復権のための最重要項目です。
対話についての記事も今後作成予定です。
③他者とのコミュニケーションツールとして
②と近い部分ではありますが、入院生活のなかでリハビリというのは数少ないイベントになります。
言い方は変ですが映画を見に行く、遊びに行くと構造が近いと感じる患者様もおられます。
「リハビリで〇〇なことがあった、リハビリの人が✖️✖️なことを言っていた」と言った他者との会話ツールとして機能することで
ご本人やご家族から「入院して何もできなくなった」のイメージを払うことも出来ます。
以前患者様に言われた言葉
「緩和病棟に来たらもう終わりだと思った、でもリハビリが始まって、その事で看護婦さんや先生がいっぱい話してくれて、家に帰ってみようかなと思えるようになりました」
もちろん全てがリハビリのおかげではありませんが、そういった側面を持つということは頭に入れて降りても良いかもしれません。
又、予後が日単位になった患者様の場合にはご家族へリハビリの様子を伝え、共有することは、グリーフケアの一助にもなります。
注意すべきこと
生活意欲が向上することは医療者としてもとてもやりがいを感じる部分になりえます。「自分が、リハビリが入ったことで患者様が良くなった」そう思われることもあるかもしれません、もちろんそれはすばらしいことです。
しかし注意しなければならないのは例によって
「医療者の自己満足が目標ではない」ということです。
時々聞きます「治すことが楽しい」それは患者様のためなのか?それとも自分の為なのか?
意欲を向上させることを医療者のエゴで強要させないよう注意しなければなりません
まとめ
今回は生活意欲の向上についてまとめました。
・ 生活意欲の向上は患者様が人として生きる権利、死ねる権利の復権をするにあたって重要な事柄である。
・ リハビリテーションアプローチによって「何もできなくなった」を「これができた」に変換する。
・ アプローチの方法は様々であり、Thとして、人としてそれぞれの特性が生かされる。
・ 意欲の向上を目的とする場合、医療者のエゴで進めてしまわないように十分注意する。
こういった部分でしょうか。
前回の生活範囲の拡大・今回の意欲の向上、どちらも患者様の「復権」のために重要な事柄ではありますが、同時に医療者のエゴや差別感が見え隠れするものでもあります。
そういった自分の感情に押し潰されないためにも、自身の人間性を読み解くことが最終的には患者様のよりよい生活の繋がるのではないかと思います。
藤田
終末期リハビリテーション講習会情報はこちら↓
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終末期におけるリハビリテーション④~生活範囲の拡大~
こんにちは、終末期・緩和ケア作業療法士の藤田です。
おそくなりましたが新年あけましておめでとうございます。
年末年始、私自身も非常に忙しいかったです。患者様はもっと忙しく、人生をかけて生活をされています。
医療職として無闇に「がんばります」とは言いませんが、自分と向き合いながらやっていきたいと思います。
終末期におけるリハビリテーション、今回は
生活範囲の拡大
について。
とはいえ過去の3記事で終末期・緩和リハの根幹はほぼ書いてしまっているので重複する箇所が多いと思いますが、よろしくお願いします。
過去記事はコチラから↓
kanwakea-fujita.hatenablog.com
kanwakea-fujita.hatenablog.com
kanwakea-fujita.hatenablog.com
ベッドから部屋の外へ
生活範囲の拡大というのは簡単に言うと「行動の場所が広がる」ということです。
緩和ケア病棟に限らず、患者様が外の世界を感じる機会はどれくらいあるでしょうか?病院に入院するということは自宅にいた時に比べて確実に寝ている時間が増えます。
リハビリの役割はベッドから部屋の外へ、部屋の外からリハビリ室へ、そして外出・外泊へとつなげることも含まれます。
離床との違い
「離床」自体は本来の意味としては同義になりますが、医療業界では「離床させる」と表現されるように、医療者から患者様への行為というイメージが強いです。
生活範囲の拡大とは、患者様の選択のもとに行われることであり、患者様の主体が入ります、「活動」に近い部分があります。(言葉として適切かどうかは不明です。良い案がありましたら是非教えてください)
生活範囲の拡大を進める際の落とし穴
上記同様「ご本人の選択がないものは拡大とは言えません」何も言わずにとりあえず車いすに乗せるのではなく「何故提案したのか?」「どういった効果があるのか?」そして「拒否ができることの保証」をきちんと提示する必要があります。そして患者様の恐怖や抵抗を肯定し「どれだけ楽に活動するか」を意識する必要があります。
とりあえず載せて喜ぶのは患者様ではなくて人をコントロールできたことがうれしい医療者です。(勿論載せることができてうれしいですと共有することも一つのコミュニケーション方法ではありますが、Thの感情を患者様に転移させないように注意が必要です。)
何故提案したのか、効果も含め伝える
理由は様々ですが共通することは必ず「患者様の立場を踏まえた上での提案」であることです。
例としては
・リハビリをする場所を紹介したい→相互理解、関係性の構築
・ご自身の状況を知る為のバロメーターになります。→自己分析の促し
・どれくらい座っていられるか確認しましょう→身体機能の再認識
・外の風に当たることで痛みがまぎれるかもしれません→疼痛コントロール(ゲートコントロールに近い)
等々・・・あくまでテンプレートな提案ではなく、初回評価、面接で得た患者様の様子やHOPE、キャラクターなどから判断し、声掛けを行っていく必要があります。
拒否ができることを保証する
同時に拒否ができることを保証することも重要になります。
特に初めての場合、どういったことから患者様が抵抗を感じるのかわかりません、そして関係性の構築がなされていないとなると「本当は嫌だけどいわれるがままに、目的もなく離床した」事になります。
くどいようですがそれで喜ぶのは医療者だけです。
具体的に「離床に抵抗感を示される理由」をいくつか伝えることで、患者様が「断り易い」環境をつくることの一助になります
例
・ 外に出るということは当然個室より人が多いので「他人の眼に抵抗を感じる人がいる」
・ 歩行器を使うことについて「道具を使ってしまった自分に抵抗を示される方もいる」
・ 転ぶんじゃないか痛みが強まるんじゃないかと「恐怖を感じる方もいる」
等々・・・
患者様は多くの人に「頑張れ」「外に出たほうがいい」と言われております。
それが大切なことだというのはご本人が一番分かっている事です。
それでも抵抗を示されるということは上記等、何かしらの理由があり、できないこと、理解されないことが負担になっている方も少なくありません。
その感情を否定するのではなく、肯定しその上でどうしていくかを一緒に考えることが、生活範囲の拡大につながります。
どれだけ楽をして部屋から出るかを意識する。
生活範囲の拡大を行うことでまず心がけるべきは「如何に楽して部屋から出るか」が重要になります。
道具で言えばチルトリクライニング車椅子のように「ベッドとほぼ同じ角度にできる」車いすであったり、いきなり杖ではなくてサークル歩行器を使う。
部屋の外の廊下の至るところにいすを置き、オーバーなくらい休憩時間を作る。
歩く時間よりも座る時間、会話作業の時間を多くする。等があります。
「思っていたより簡単だった。」という言葉をいただければある意味成功と捉えても良いのかもしれません。
逆に「初めてなので緊張するから恐らく大変だと思います」と事前に患者様に声をかけるのも良いと思います。
そうすることで精神的余裕が生まれ「意外とできた」と感じていただくことも増えます。
終末期リハビリテーションで重要な事柄として「即効性」というものがありますが、生活範囲の拡大のための介入は即効性に結びつきやすい印象があるため、上記方法などを使用しながら優先的に行っています。
まとめ
今回は生活範囲の拡大について記事にしました。
-
ベッドから部屋の外へ、そして外出・外泊へとつなげる。
-
患者様の選択のもとに行われることであり、患者様の主体で行われる。
-
とりあえず載せて喜ばせるのではなく、患者様の立場を踏まえる。
-
現状に対する恐怖について肯定し拒否する選択も保証する
-
頑張るのではなく、どれだけ楽に問題点をクリアするかを意識する
生活範囲を拡大することはそれはそのまま生活意欲の向上につながります。
向上することで、残りの時間に自分はどうあるべきか?
と考える余裕が生まれることがあり、それはHOPEとして表出されたり、患者様自身の行動となって現れます。
HOPEが生まれれば、リハビリも進めやすくなりますし、プログラムも立てやすくなると思います。
次回はそのあたりについて記事にしたいと思います。
終末期リハビリテーション講習会情報はこちら↓
kanwakea-fujita.hatenablog.com
終末期におけるリハビリテーション③~身体機能の再認識~
こんにちは、終末期作業療法士の藤田です
終末期・緩和ケア分野におけるリハビリテーションの役割
今回は身体機能の再認識について
自己分析から得られるもの
前回の「自己分析」と重複する部分があります
医療者の介入ですべてではないにしても自己分析が進むと患者様にとってさまざまなものが見えてきます。
その中でもっともよく見えるものは「自身の身体機能」になります。
終末期・緩和ケアにおいてリハビリテーションでは身体機能の再認識の一助となる様介入しています。
再認識とは
感謝様が漠然とした目標に対して、実際どうしていけばよいのかを考えるための物差しです。
分かりやすく言えば「できるか・できないか」の判断を患者様本人に行っていただき、そのうえで今後の自分の生き方について選択していくことです
具体的なできることのラインが見つかることで、現状についての認識がクリアになり、漠然とした目標に対しても見通しが広がります。
殆どの方が望むのは「家に帰りたい」ですが、現状を再認識することで「どうすれば帰れるのか?」と患者様ご本人が考えるようになり、生活の主体性が再度生まれます。
再認識とは患者様が「人生の決定権を再び取り戻す」第一歩であるともいえます。
人生の決定権主導権についてはコチラの記事をご参照ください
kanwakea-fujita.hatenablog.com
再認識の落とし穴
自己分析と同様「誘導しないこと」が最も重要です。
医療者にとっての「できない・できる」と患者様にとっての「できない・できること」は別物である(別の次元であるもの)という認識を医療者は常に持たねばなりません。
「歩けましたね・動きましたね」と伝えていくことは大切ですが、その構造が
「患者様に良くなってもらいたいという思いが強い医療者自身が安心するため」の声掛けとなることもしばしばあります。
医療者のエゴで全てを再認識させるものではない
患者様にとっての「知りたい事・知りたくないこと」はそれぞれ個々に違いますのでご本人の言葉やDrからのICがどのレベルで行われているのかは事前に知る必要があります。
しかし、医療者が留意することは「落ち込ませないこと」ではなく「どのような情報を希望されるか」の目線になります。
医療者側の推測ではなく「患者様ご自身の言葉」が最も重要になります。
落ち込ませるのは悪いことではない
身体機能の低下を実感することで患者様が傷ついてしまい生活意欲が減退してしまうのではないか?というご意見をいただくこともあります。
そして落ち込まれた方にも多くお会いしてきました。しかしご本人が選択し、バッドニュースが伝えられ、落ち込むということは決して悪いことではありません。本人の望む範囲であればきちんと「落ち込む権利」を保証することも大切になります。
そして一番重要なことはそう言った事柄で傷つくのは患者様ではなく医療者です。
医療者の傷つき
先ほど、「患者様に良くなってもらいたいという思いが強い医療者自身が安心するため」と書きました。
逆に言えば患者様の気持ちに関わらず「医療者目線でできないこと」が多くなってしまうと医療者の傷つきやバーンアウトが起こります。
終末期医療に携わる医療者の悲嘆でよく聞くのはやはり「自分では何もできなかった」という「医療者としての信念が揺らぐこと」であると感じます。
その部分に対して「強い心を持とう」等の声掛けがどれくらいの意味を持つのかは私には分かりませんし、私は言えません。
患者様がショックを受けるからという理由で告知であったり再認識に抵抗を抱くのは実は患者様の為というより医療者本人の希望であることも多いように感じます。
厳しいことを言ってしまえば…それは医療者のエゴであり片手落ちのリハビリテーション(他人に治療してあげたい気持ちが優先し患者様自身の選択の復権の部分が抜け落ちている)ではあるのですが
医療者個人の信念が曲がってしまうことにもなりかねないので、この部分に関しては簡単に「頑張りましょう」とは言えない部分でもあります。
ただ一つ言えるのはそう言った部分が
「辛いことに対してきちんと落ち込める権利を制限してしまう可能性がある」ということです。その人の「死の権利」を保証する介入がリハビリテーションであり、医療行為なんだということを知るだけでも幾分気は楽になるのではないでしょうか?
医療者の傷つきについては色々な考えがあると思いますが、患者様のためを思うあまり傷つき、バーンアウトを起こしてしまう医療者が後を絶ちません。
専門書を読んでも医療職側の傷つきについては記載されているものが少ない印象です。
その為にデスカンファレンスはあるのでしょうが日々の業務に追われて十分に行えないことも多いのではないでしょうか?
私個人の試みとして緩和ケア病棟のスタッフと協力をして意見交換会の場を作ろうと働きかけているところです。
馴れ合いの場でもよいので共有することで連帯感がうまれ、より死について前に進める会になることを目標にしています。来年稼働予定です、うまく機能すると良いのですが…。追って報告いたします。
バーンアウトについてはこちら
kanwakea-fujita.hatenablog.com
デスカンファレンスについてはこちら
kanwakea-fujita.hatenablog.com
具体的なリハビリテーションでのアプローチ
身体機能の再認識のためのアプローチはほぼ一般的なのリハビリテーションと同じになります。
しかし目線は「成功体験」のみではなく「できないこと」も重要になるので、誘導ではなくご本人に「どうでしたか?どこが大変でしたか?」と声掛けが必要になります・
運動的アプローチ
大半の方の目標である「歩きたい」をツールにして介入することで身体機能の認識を促す。
ご本人のできると感じるラインをまず行っていただき、その結果次第で道具の提案や移動遮断の検討を提示し、ご本人に選択して頂く方法
当然ながら「医療者の判断で」歩行練習を中断することは禁忌です。あくまでRhの役割は患者様自身が現状を認識して頂くためのお手伝いです。
そのため大きなけがに繋がらないためのリスク管理と専門家としての見解のとどめましょう。
具体的な声掛けとしては「歩けないですね」ではなく「歩いてみてどうでしたか?」
「歩行器を使いましょう」ではなく「こういったものだとより楽にできると考えますがどうですか?」等
あくまでいち専門家の意見として上下関係が生じないことが最も大切です。患者様の人生をコントロールしないように細心の注意が必要です。
作業的アプローチ
ここで言う作業とは「手工芸」のみではありません。
今まで生活の中で行っていた習慣や趣味を継続して行い、その時々の状態に合わせて規模を拡大縮小していく中で生活の変化を感じていただく方法。
お茶のみ、車いす乗車、散歩、いつものマッサージ等「いつもの生活の変化」を利用していく方法。
単純な歩行練習より患者様の語りが表出される印象があります。
(※勿論歩行練習も「いつもの時間にいつもの距離を」が変化することが自己認識に繋がります)
具体的な声掛けは「いつもの時間が難しくなりましたね」ではなく「時間変更はいつでもできますよ」とご本人に選択して頂くことを第一に介入する。
ADLフォロー
リハビリと言えばADLといった部分も多いですが、身体機能の認識に高い効果を発揮します。「自分の何が大変なのか」を最もリアルに感じる介入になります。もちろんこちらで設定するのではなく、ご自身の生活の目標を聴取し、できるだけ近い環境(病棟なのか自宅なのか、手すりの有無等)に設定していただき、患者様ご自身にイメージして頂ただく。
生活動作を取り入れた現状機能を再認識することで、歩行同様、現実的な目標であったり、自身の根柢、スピリチュアルペインの気づきにつながります。
具体的な声掛けは歩行練習と同様です。
疼痛を用いた再認識
終末期・緩和ケアの方の場合疼痛が大きくて行動が制限されると同時に痛みによる恐怖から動作能力が著しく低下することがあります。
疼痛を大きく誘発することは勿論禁忌ですが、各生活動作を通じて「どこまでやったら痛いのか?」患者様自身に言語化して頂くことも離床のバロメーターになります。
痛みの範囲の再認識を促すことで車いすや歩行補助具の情報提供や、ご本人の選択を行いやすくすることもRhの役割です。
まとめ
- 自己分析が進むと患者様は身体機能に目を向けるようになる。
- 再認識によって現状の見通しがクリアになる。
- 再認識することは人生の決定権を取り戻すことの第一歩である。
- できないことに目を向けること谷抵抗を感じる医療者は多い
- できないこと、あきらめることでか傷つくのは医療者本人である。
- リハビリテーション(自己の復権)には「落ち込める権利」「自己の市に向き合う権利」も含まれる。
- 成功体験のみにフォーカスを当てるのではなくどこが大変だったかにも目を向けることができるように働きかける。
最後に
先日患者様に「気を遣わなくてもいいから、腹を割って話してくれ、どうするかは自分で決めるから」と言われました。
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その方も先日逝去されました。
もしこちらが話さずに、自己分析・新体制の再認識(もう歩けない)が無ければ恐らく回復の希望の身にしがみつき、家に帰ることはできなかったでしょうし、自己の決定がなされず無念だけが残ったかもしれません(実際は患者様のみぞ知る部分ですが)。
患者様がより良い選択を行えるよう、医療職は患者様と関わっていく必要があります。
医療者の傷つきとそれへの対処方法についてはおいおい記事にしていきたいと思います。
終末期におけるリハビリテーション
kanwakea-fujita.hatenablog.com
大まかな部分は以上3点になります
身体機能の再認識(本記事)
以降は上記3点の応用になります。少しずつですが記事にしたいと思いますのでよろしくお願いします。
藤田
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終末期におけるリハビリテーション~自己分析の促し~
こんにちは、終末期作業療法士の藤田です。
おかげさまで前回の記事に多くのアクセスが付きました。
終末期におけるリハビリテーション①~関係性の再構築~ - 終末期・緩和ケアを専門とする作業療法士のブログ~死について、もっと前へ…~
それだけ終末期リハに対して興味を持たれている方が多いのだなぁと、嬉しくなりました。
前回の関係性の再構築はどちらかというと「医療者に向けての」内容でした。
今回は患者様の変化について
リハビリの目標の一つである「自己分析の促し」について
自己分析は自己の復権の第一歩であり目標
患者様の多くはは入院・がん告知・機能の急激な低下などから「できること」「できないこと」が判別ができないくらいショックを受け、「自分は何もできなくなった。」と感じたところからスタートします。
リハビリ介入前に困っていることを伺うと「良くわからない」と話される方を多く見かけますし、それが、MMTが5であろうが拘縮が無かろうが、車いすにスムーズに移ることができようが「何もできなくなった」と話される方に多くお会いしてきました。
現状の認識・自己分析が行えないと、当然リハビリも進みません、そして自分の人生を自分で決定することが難しくなります。
まず医療者がすべきことは「ショックを受けている患者様」を認識することです。
患者様は急激な物事の変化に取り残され、体も心も動かしたくても動かせない状態であるということを理解しなければなりません。
そのような方にいきなり「頑張って歩きましょう」と言えませんし言ったとしても患者様には届かないことが多いです。
緩和ケア・終末期リハビリテーションでまずすべき目標は何が何でも立たせるではなく「現在の自己について」向き合う時間を作ることです。
自己分析を促すことが患者様に与える影響
上記ショック期は「この間まで動けていた自分」と「病状が変化し、自分のイメージとは離れた自分」の乖離によって生まれることが多く、医療者の目標はそれら現状とのすり合わせのための自己分析になります。
患者様様ご自身が自己分析を行うことで「どれくらい動けるのか」「どうなったら痛いのか」を実感し、がむしゃらに機能を上げるのではなく、目標に向かってどういったことが必要なのかを患者様側から考えることができます。
そうすることで目標がより現実的なものとなり、終末期・緩和ケア分野でのリハビリテーションの目標である「自己の復権・主体性の再獲得」につなげることが可能になります。
自己分析の促しの落とし穴
前回同様ですが「医療者の都合の良いように誘導しないことです」
あくまで主体である患者様が「自分で考える、感じる時間」を持つことです。
「医療者が向き合わせてあげる」ではなく「患者様が向き合う事ができる環境」を構築することですので。
前回の関係性同様、患者様が主体であることを心がける必要があります。
自己分析を促す方法
方法は様々ですが、患者様との関係性や生活、時代背景、職歴などによっても大きく変わります。
①前もって目標として「自己分析」を提示する(ボトムアップ)
患者様の語りを聴きながら「現状『何がどうなっているか分からない』と思うので、まずはリハビリを通じて整理しましょう」という提示をし「できること・難しいこと」を感じていただく。
自己分析を押し付けるのではなく、あくまで「現状の辛さ」を共有した上で介入し、ご自身の中でのできるラインを明確にしていく。
②ご本人の掲げる目標を行い、分析を促す(トップダウン)
「明日になれば歩ける」「俺は大丈夫だから」そう話される方も多く看取ってきました。男性に多い印象です。
自己分析を話してもピンとこない「自分は元気だと感じている(実際はショックによる病状の否認の意味合いが強いのですが)」方の場合は①のようなボトムアップで介入をしても自己分析にはなりません。
医療者がすべきことは、医療者の目線でほぼ不可能であることであっても。まず本人のしたいことを理解、共有し、実際にリハビリで行っていただく。
その中で「難しい」と感じられたところでRhはスタートします。
※勿論リスクには最大限配慮しますが、前に進むためであれば極端な話大怪我でなければ転んでも良いのだと思います。
私は声掛けとして「転ぶ可能性がありますが、好きなようにやってみてください、転んでも怪我しないようにお手伝いします。そして本当に危なかったらプロとして止めます!」と話すことが多いです。
③できていることを強調するように働きかける(言語化)
ショック期から抜けられない、Rhに依存が強い、性格として自分をほめられない方も多く看取ってきました。
基本的にはご自身の感覚を最優先しますが「言語化」することで安心につながる場合もあります。同時に「本人にとっての良い部分」を認識され、自己分析に繋がります。
初回介入時と比較して頂くことや歩行距離や車いすのギャッジアップ角度など数値としてわかりやすく向上したことを共有するのも方法としてはあります。
しかしこの方法は前回の記事
「得意顔になって色々話している医療者に無理に合わせてくれている患者様」
終末期におけるリハビリテーション①~関係性の再構築~ - 終末期・緩和ケアを専門とする作業療法士のブログ~死について、もっと前へ…~
の部分につながる可能性もある為、注意が必要です。
①②の方法に抵抗感がある、苦手な療法士は、この「言語化」を積極的に行われますが、あくまで言ったことでの「分析の促し」が本題なので共有の後に目標の再設定が可能かどうかの検討が必要になります。
④何もしない
ショック期(転倒直後・急激な病状の進行・予後告知など精神的疼痛が著しい状態と定義)の方の場合、無理に活動を促すことで身体的のみではなくトータルペインにつながる可能性があります。
精神科で言う急性期と同様、無理に離床を促したり自己分析を進める事は禁忌になります。
まずは会話作業やBEDSIDEでの軽運動・マッサージなどのリラクゼーションで患者様が安心できる場を作り、徐々に意識を生活に向けていくことが必要になります。
私の経験上、この場面で医療者側がしびれを切らして患者様との関係性が変化した症例を何度も見ております。
患者様に医療者側が動揺してしまう部分もあるかもしれません、勿論いけないことではありませんが、認識を持って行動することが大切です。
まとめ
今回は最初の患者様の目標である「自己分析の促し」についてまとめました。
「自己分析は現状と自己イメージのすり合わせ」
「『何もできなくなった』からスタートする患者様が多い」
「医療者主体ではなく、患者様が自己分析のできる環境を作る」
「①介入時にRhの最初の目標は現状を知ることであると伝える」
「②医療者目線でできないからダメではなく、実際に行って頂く」
「③言葉として伝え際は、医療者主体にならないように注意する」
「④ショックの強い患者様に無理な分析を強いらない」
大まかなポイントは上記部分になります。
終末期医療・緩和ケア・リハビリテーションにおいて患者様がより良い最期を迎えるためは自分ともう一度向き合い、今の自分で何ができるのか?何をしたいか?を知ることが重要になることが非常に多いです。
医療者主体ではなく、患者様が主体となること、「弱者」とみなされてしまう患者様が理学療法・作業療法問わず、リハビリテーションの本来の目的である「人生の復権」をもう一度行えるようにリハビリを行っていく必要があります。
この部分に関してはより掘り進めて行きたいところですが、それはまた別の機会に。
少しでも参考になる部分があれば幸いです。
私自身の知識を深めるためにもご意見などいただければ幸いです。
藤田
終末期リハビリテーション講習会情報はこちら↓
kanwakea-fujita.hatenablog.com