ロビン・ウィリアムズ氏の自殺から考える今後の医療の在り方
こんにちは
終末期作業療法士の藤田です。
少し前になりますが、このような記事を見かけました
ロビン・ウィリアムズ氏が先日自ら命を絶たれ、衝撃が走りました。
その中で藤田が気になった文章以下の部分
2011年にロビンと結婚したスーザンは、ロビンがみずから命を絶ったのは、自分の人生の主導権を得る感覚を取り戻すためだったからだと解釈しているという。
「ここ1年、何がロビンを死に至らしめたか考えるのに時間を費やしました。私たちが何と闘っていたのか、様々なことと闘うことになった原因はなんだったのかを理解するために。1人の医師は『ロビンは自分が思考を失いつつあること、そしてそれに対して自分が無力であることをわかっています』と言っていました」「彼はそれをわかっていました。できるだけ最善を尽くしてうまくやろうとしていましたが、最後の月はそれができていませんでした。かなり混乱していました」「ただ彼はノーと言いたかっただけだと思いますし、私はそのことを1ミリたりとも責めるつもりはありません」。
※ 上記リンクより引用
「自分の人生の主導権を握る感覚を取り戻すため。」
ここについて皆様はどのように感じられるでしょうか?
仮に上記理由でロビンが自らの命を絶ったのだとすれば、彼自身の行動は終末期医療の本来あるべき姿なのかもしれません。そしてそれを受容した家族や医師も…。
「その人らしい生活」というのは医療者や家族にとっての都合の良い生活ではありません
以前も書きましたが、終末期医療のみならず病院に入るということは患者様~ご家族の間に上下関係が生まれることが非常に多いです。
入院したことで弱者になり、行動は制限され、自分の今後も知ることなく最期を迎える。
そう言ったケースに何度も立ち会ってきました。
もちろんそれらの選択を否定するつもりは全くありませんが、「人生の主導権」を握ることができなくなった患者様は沢山いらっしゃいます。
これからの医療は患者様が自身の人生を「選択」する時代であってほしいと思っております。
極端なことを言えばロビンのように「自殺」という選択も必要なのかもしれません。
以前この「選択」にて自身の人生を終わらせた男性の方がいらっしゃいました。
「自分はもう動くことができない、仕事も引き継いだし、家族に伝えたいこともすべて言った。だから、最後に、俺が頑張ってトイレに移るところを見てくれ、それで、終わりにしよう。」
そう家族に伝え、トイレ移乗を介助にて行い無事終えることができその後、強めの鎮静をかけ、2日後に逝去されました。
ご本人が「何をすることが自分なのか?」考え、選択されたこと、ご家族が(勿論辛かったでしょうが)「最期まで彼を尊重したこと」(尊重するという表現もすでに上下が生まれておりますが、あえてわかりやすい表現としております)
どちらも今後の医療分野に欠かせないことだと藤田は考えます。
皆様の臨床の現場で患者様の「選択」はどこまで尊重されていますか?
医療職の都合の言いように「誘導・隠蔽」していませんか?
患者様が「自殺したい」と言った時にその考えを肯定できますか?
終末期医療に携わる方すべてが考えねばならないことであると思います。
最期になりましたが、ロビンウィリアムス氏のご冥福をお祈りいたします。
藤田
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kanwakea-fujita.hatenablog.com