終末期・緩和ケアを専門とする作業療法士のブログ~死について、もっと前へ…~

終末期・緩和ケア分野で働いている作業療法士の藤田と申します。日々の臨床で感じること、思ったこと今までの経験などを書き記していきたいと思います。終末期リハビリはまだまだ始まったばかりの分野です、意見交換できれば幸いです。

終末期におけるリハビリテーション①~関係性の再構築~

こんにちは、終末期作業療法士藤田です。

 

 


今回からしばらく、藤田の行っているリハビリテーションをまとめたいと思います。

 

今回は全ての基本

「関係性の再構築」について

 

信頼関係は全ての医療者が願うこと

恐らく多くのThがこれが大切だと思っているのではないかと感じております。

関係性が構築されることで心の負担を少しでも減らし。生きる希望がわいてくる。

そう言った内容の文章や言葉を多く耳にしてきました。私も同意です。

 

しかし、ここでThが目標とすることは「患者様と仲良しになる」事ではありません。

 

関係性の構築の落とし穴

 気を付けるべきことは患者様との関係が

「医療者にとって都合の良い関係になってしまうこと」

これに集約されます。これはこの分野における禁忌です。

我々医療者は「人の役に立ちたい」と思いこの仕事を選ばれたと思いますが、その言葉自体が「人の為」ではなく「自分の為」であることにまずは気づかなければなりません。

例を上げますと関係性を作るに当たり「会話」というものをThは用いると思います。

「患者様が喜びそうな話題を年代・性別・趣味に合わせて提供している」

勿論関係性の一助にはなりますが

見方を変えれば

「得意顔になって色々話している医療者に無理に合わせてくれている患者様」

 

という関係性であるともいえます。 実際に私は言われたことがあります

「先生に悪いから本当は嫌なんだけどいい顔してることもあるんだよね」…と。

「人の役に立ちたい」という考え方を否定するつもりは少しもありません。私もそうなので。

しかし、日々の介入の中で「もしかすると患者様が我々に合わせてくれているのではないか?」の目線を持ち、自分主体の関係性ではなく、相手がどう思うのか?常に多角的な視点を持つ必要があります。

 

どのように関係性を作っていくか?

先ほども言いましたが「関係性を作る」ことは「仲良くなること」ではありません。

患者様との関係の中での医療者の役割を明確に評価することです。

医者は患者様にとってどういった役割なのか?看護師は?放射線技師は?掃除の人は?

そして自分はどうなのか?

「尊敬する先生」「気軽に話したい」「プロの目線を求められる」「子の代わり」「主婦仲間」「怒鳴り散らす」等々…

もちろん実例で上げた「本当は嫌だけど、先生に悪いから…」の関係性も内包されたものになります。

 

医療者の心構え

自分がどのような立ち位置を患者様が求められるのか?

まずそれを評価せねばなりませんし、患者様の作られた医療者との関係性を否定してはいけません。

当然これらの役割には優劣はありませんので、例えば「怒鳴り散らされる」関係も必要になります。

要するに「患者様が安心して怒鳴り散らすことができる役割」

も必要になってくる事があります。

とはいえ、その役割を担うことは医療者にとっての強い精神的負担にもなります

 

当たり前のこと

思えば人間関係で合う人、合わない人が現れるのは当然のことです。

ましてや多くの患者様は我々より長く人生を渡り歩き、その信念のもと生きてきた方々です。

そんな中で全員に分け隔てなくいい顔をする人がどれくらいいるのでしょうか?

医療者に信頼を向けるも怒りをぶつけるのも患者様の自由であり、選択されたことです。

見るべきことは「医療者にいい顔を見せる部分」ではなく「良いも悪いも医療者に対してどのような関係性を患者様が作られているか」の部分です。

 

「患者らしく」でしばりつけない

これらの話を講習会で話すと多くの人が抵抗感を示されます。

「患者様が怒るような状態にしてはいけないのではないか?」と

しかしそれは患者様が「怒る状態」が嫌いな「医療者」ということであり、それは行ってしまえば「医療者にとって都合のいい関係性」とも言えるかもしれません。

 

人は病気になる・入院する・介助が必要になると、ご本人の意思と関係なく、言い方悪いですが周りから「弱者」とみなされます。

そうなると関係性が変化します。医療者も「弱い人」として患者様を見るようになり、「かわいそうな人にいいことをしたい」と自分主体の思考に陥ります。

 

そして、「患者様は患者らしくあるべき」の感情が生まれます。

「医療者の言うことを聞くべき」「いつも笑っていてほしい」「怪我をしてほしくない」等々…

勿論、患者様の中には、そう言った「患者様像」を選ばれる「医療者にとって都合の良い関係性」を作る患者様もいらっしゃいます。

しかしその人ばかりが正しい関係性では無いという意識を持つことが大切になります。

関係性の「再」構築とは(本来そうではないにもかかわらず病気になったせいで)弱者と見なされてしまった方と再度人間本来の関係性を築くことになります。

リハビリテーションとは re(再び)+ habilis(適した)、すなわち「再び適した状態になること」であり

その中には「権利の回復」が含まれます。「患者らしく」から再度「人間らしく」の権利を回復させることもリハビリテーションです。

 

具体的なリハビリテーションの方法

関係性を再構築するための方法は種々ありますが、まずは「語り」を聴くことです。

リハビリ職の方なら実感があるかもしれませんが、

リハビリテーションは1対1で関わることが多い職種であることから、感情が向くことが非常に多いです。

藤田は作業療法士ですのでその場に作業を介します。(理学療法士であれば運動、やっていることは同じです)

目標も明確に提示できますし、活動をしながら会話作業を入れることも可能ですので関係性の再構築を図りやすいです(スポーツトレーナーと生徒の関係とも言える)

その為「語り」が表出されやすい構造になります。

話をしていく中で本人の語りを待ち、傾聴していく、そしてこちらの意見で上書きしない事が重要です。

こちらが良かれと思って話してばかりいると、患者様主体の語りの機会が喪失します。

あくまで患者様が主体であること、その中で語りを待つことで、「仲の良し悪しではない」関係性の構築を行うことの足掛かりとなります。

 

まとめ

今回は介入の中で特に大切な「関係性の再構築」についてまとめました。

「仲の良し悪しが関係性の構築ではない」

「患者様の目線で自分や他の医療者どういった役割なのか、関係性なのかを評価する」

「常にこちらに対して人生経験の豊富な患者様が『合わせてくれている』という目線を持つ」

「患者様の感情を否定しない、病人にとって都合の良い人間像に誘導しない」

「リハビリは語りを引き出しやすい職業であり、そこから関係性が構築される。語りをこちらの都合の良いように上書きしない」

 

大まかなポイントは上記部分になります。

 

関係性が明確になることで患者様のHOPEを引き出すことや、生活意欲の向上につながります。それが終末期・緩和ケアリハビリテーションの始まりだと思います。

 

少しでも参考になる部分があれば幸いです。

私自身の知識を深めるためにもご意見などいただけレば幸いです。

 

藤田

 終末期リハビリテーション講習会情報はこちら

kanwakea-fujita.hatenablog.com

 

 

終末期におけるリハビリテーション~はじめに~

こんにちは、終末期作業療法士の藤田です。

 

先日「藤田さんは終末期の方に何をしているのかよくわからない」と言われました。

 

終末期・緩和ケア分野のリハビリテーションがまだまだ発展途上なのだなぁということをひしひしと感じました。

 

来年、勉強会を開くそうです、藤田が何をやっているのかの。

 

かなり尖ったことをしている実感はあるのですが、発信をしないといけないというのも事実です。どこまで理解されるかの不安はありますが…

 

過去の記事では思いつくままに色々と散文的に書いてはおりましたが、

良い機会なのでまとめてみたいと思います。

 

終末期患者様における藤田の行っているリハビリテーションの目的

(以下リンクに飛びます)

  1. 関係性の再構築
  2. 自己分析の促し
  3. 身体機能の再認識
  4. 生活範囲の拡大
  5. 生活意欲の向上
  6. ストレスコーピングの一助
  7. 暇つぶしの相手
  8. ADLフォロー

 

思いつく部分をざっくりというとこの8つかなぁと思います。

そして終末を迎える患者様に対してのアプローチは主に

 

上の3つがメインになってきます。

  1. 関係性の再構築
  2. 自己分析の促し
  3. 身体機能の再認識

 

この3つです。

 

正直、後の5つはおまけです。

 

そしてリハビリからの働きかけという面では大したことしていません。

 

私が何度も記事にしている「患者様の選択と、関係性の構築」ができれば大枠はできます。

 

逆に言えば上3つができなければいつまでたっても患者様にリハビリは提供できません、そして医療者はいとも簡単にバーンアウトしてしまいます。

 

 

次回からしばらくはこれらについてまとめたものを1つずつ説明していきたいと思います。

 

藤田

 終末期リハビリテーション講習会情報はこちら

kanwakea-fujita.hatenablog.com

 

 

一般病棟での終末期患者様への介入。

こんにちは、終末期作業療法士の藤田です。

 

先日、珍しく一般病棟の患者様を受け持つことがありました。

 

とはいえ、余命は短い月単位、脊椎転移が急激に進行し、不完全ながらも立位はほぼ不可能となった対麻痺の患者様です。

 

病状説明もまだされておらず、患者様は急激な変化に戸惑われており

「今後の自分がどうなるのか?」「家に帰れないのか?」「家族に迷惑がかかる」

そういったことを話されていました。

 

同時に現状が分からないことへの不安から「今後どうなるのかはっきりと伝えて欲しい」と私へも話されました。

 

Drからの情報がない状態であったためややはぐらかしたような表現をする私に対しても怒りを向けられました。

 

終末期リハビリはまず

「目に見えて終末を考えなければならなくなるエピソードによる急激な心理・スピリチュアルペインの出現」

からスタートになると考えております。私個人としては「急性期・ショック期」と表現しております。

 

緩和ケア病棟の場合、それらがある程度落ち着いた場面からのスタートになりますが、一般病棟での介入の場合「昨日から動けなくなった、早く帰らないと・・・治らないと・・・」からスタートする事が多いです。

 

リハビリの目線から言えば今回のケースであれば「足が動かない」→「移動できない」→「車いす以上の練習をしましょう」といった流れになりますが

 

この「ショック期」の方に対して安易に「車いすに乗りましょう!」と声をかけることがどれだけ責任がかかるか・・・?

終末期に携わる人間は考えねばなりません。

 

終末期医療で必要なことは患者様ご自身が現状を認識し、そのうえでどういったリハビリ、医療行為を求めるのか?ということです。

 

この「ショック期」の方の場合まず行わなければならないことは「自身がどうなってしまったのか?」の不安・疼痛を緩和することです。

(勿論そのためにはPCT介入・服薬による疼痛管理がなされた上での話になります。)

 

その方法としては

① Drから現状についてのICを行う

② Rhで自身の「できること・できないことに向き合っていただく」

③ 補助具の導入をする際に「あくまで通過点」とした上で使用して頂き、その有用性を実感→病状認識を促す

大まかに分けると藤田はこのような方法で患者様と向き合います。

 

今回の症例の場合、「どうなってしまったのか?」を知りたいと強く感じておられました。その為Drへ相談し、今後のことについてまずご本人にICをしていただき、その後にOTの見解を伝えることとなりました。

 

患者様は「自分がどうなっているか分かった、それでも家に帰りたい、家族に迷惑をかけたくない奇跡的に治ることを期待してリハビリを頑張りたいし、ダメだった場合のための車いすの乗り移りも練習したい」

 

と話されました。

 

以前の医療では病状は本人に伝えてはいけないという風習がありました、今でも「ショックを与えるからいけない」と本人は抜きにしたICで家族にのみ伝えられることもあります。

 

その考えも悪いとは思いませんが、今回の症例の場合、「自身に情報がない」ことに心理・スピリチュアルペインが増強していると同時に、伝えたことで自身の残りの人生に見通しが立ちました(これは私の主観なので真実はご本人のみぞ知るですが…)

 

その方が私に言った言葉

 

「お願いだから、腹を割って話してほしい、できること、できないこと、何がしたいのか言ってほしい。先生を信頼したい、嫌なことはこっちからも言うそう言った関係を作ってほしいんです」

 

所謂「患者ー治療者関係」を見直す良い機会になり、大変勉強になりました。

 

良かれと思って都合のいい言葉を選び、上下関係を作り、生殺与奪をコントロールし、患者様の疼痛を増強させていませんか?

 

もう一度患者様とのかかわり方を見返すチャンスかもしれません。

 

藤田

 終末期リハビリテーション講習会情報はこちら

kanwakea-fujita.hatenablog.com

 

 

ロビン・ウィリアムズ氏の自殺から考える今後の医療の在り方

こんにちは 

終末期作業療法士の藤田です。

 

少し前になりますが、このような記事を見かけました

headlines.yahoo.co.jp

 

ロビン・ウィリアムズ氏が先日自ら命を絶たれ、衝撃が走りました。

 

その中で藤田が気になった文章以下の部分

 

2011年にロビンと結婚したスーザンは、ロビンがみずから命を絶ったのは、自分の人生の主導権を得る感覚を取り戻すためだったからだと解釈しているという。

「ここ1年、何がロビンを死に至らしめたか考えるのに時間を費やしました。私たちが何と闘っていたのか、様々なことと闘うことになった原因はなんだったのかを理解するために。1人の医師は『ロビンは自分が思考を失いつつあること、そしてそれに対して自分が無力であることをわかっています』と言っていました」「彼はそれをわかっていました。できるだけ最善を尽くしてうまくやろうとしていましたが、最後の月はそれができていませんでした。かなり混乱していました」「ただ彼はノーと言いたかっただけだと思いますし、私はそのことを1ミリたりとも責めるつもりはありません」。

※ 上記リンクより引用

 

「自分の人生の主導権を握る感覚を取り戻すため。」

ここについて皆様はどのように感じられるでしょうか?

 

仮に上記理由でロビンが自らの命を絶ったのだとすれば、彼自身の行動は終末期医療の本来あるべき姿なのかもしれません。そしてそれを受容した家族や医師も…。

 

「その人らしい生活」というのは医療者や家族にとっての都合の良い生活ではありません

 

以前も書きましたが、終末期医療のみならず病院に入るということは患者様~ご家族の間に上下関係が生まれることが非常に多いです。

入院したことで弱者になり、行動は制限され、自分の今後も知ることなく最期を迎える。

 

そう言ったケースに何度も立ち会ってきました。

 

もちろんそれらの選択を否定するつもりは全くありませんが、「人生の主導権」を握ることができなくなった患者様は沢山いらっしゃいます。

 

これからの医療は患者様が自身の人生を「選択」する時代であってほしいと思っております。

 

極端なことを言えばロビンのように「自殺」という選択も必要なのかもしれません。

 

以前この「選択」にて自身の人生を終わらせた男性の方がいらっしゃいました。

 

「自分はもう動くことができない、仕事も引き継いだし、家族に伝えたいこともすべて言った。だから、最後に、俺が頑張ってトイレに移るところを見てくれ、それで、終わりにしよう。」

 

そう家族に伝え、トイレ移乗を介助にて行い無事終えることができその後、強めの鎮静をかけ、2日後に逝去されました。

 

ご本人が「何をすることが自分なのか?」考え、選択されたこと、ご家族が(勿論辛かったでしょうが)「最期まで彼を尊重したこと」(尊重するという表現もすでに上下が生まれておりますが、あえてわかりやすい表現としております)

 

どちらも今後の医療分野に欠かせないことだと藤田は考えます。

 

皆様の臨床の現場で患者様の「選択」はどこまで尊重されていますか?

 

医療職の都合の言いように「誘導・隠蔽」していませんか?

 

患者様が「自殺したい」と言った時にその考えを肯定できますか?

終末期医療に携わる方すべてが考えねばならないことであると思います。

 

最期になりましたが、ロビンウィリアムス氏のご冥福をお祈りいたします。

 

藤田

 終末期リハビリテーション講習会情報はこちら

kanwakea-fujita.hatenablog.com

 

 

デスカンファレンスに参加しました②

こんにちは終末期作業療法士の藤田です

 

本日、2回目のデスカンファレンスに参加させていただくことになりました。

 

とはいえスタッフの皆様多忙の為時間は20分ほど。

 

以前のデスカンファレンスに望むことという記事を書きましたが

kanwakea-fujita.hatenablog.com

「先に進むことのできるデスカンファレンスであってほしい」と思っております。

 

そして今回、わずか20分ほどでしたが、そう言った内容でのデスカンファレンスを行うことができました。

 

具体的な内容は前回記事にした「その人らしい生活とは」といった内容で

終末期医療における「その人らしい生活」とは? - 終末期・緩和ケアを専門とする作業療法士のブログ~死について、もっと前へ…~

 

まさにタイムリーでした。

 

終末を迎えられた患者様が一番大事にされたことは「自分が自主性を持って行動できること」であったと評価される方に

「転倒リスクを優先した対応や言うことを聞いてもらえず医療職自体が感情的になってしまったのではないか?」とNsの方より提示がなされ

 

「医療職のエゴで患者様のスピリチュアルペインを増加させてしまったのではないか?」といった話題が中心となりました。

 

私自身も「歩きたい」といった方の希望に沿って歩行練習をさせる。しかし当然難しく、ご本人は自分の目標を軌道修正せざるを得ない状況にさせてしまったことに対して良かったのかどうか?という部分について話させていただきました。

 

「患者様のその人らしさを支える」は「医療者の都合の良い人物を作るための言葉ではないのか?」

 

「勝手に良いことと判断して押し付けてしまったのではないか?

 

「できないことを見せつけることで、医療者自身の感情的なストレスコーピングを行ったのではないか」等

 

「患者・医療者関係が平行でなくなってしまっているのではないかという」様々な話題が提起されました。

 

残念ながら具体的な方法は出されないまま時間が過ぎてしまいましたが、非常に有意義な時間となりました。

(私の意見として「選択して頂くことを重視した介入」をするべきではないかと話させていただきました。)

 

終了後Nsの方から言われた言葉が

「リハビリの人がそう言った考えを持ってていただけると助かります」というものでした。

まだまだリハビリ業界はまだそこまでたどり着けていないという認識なのだなぁと思いました。(本来治療を主とするリハビリ職にとっては当たり前と言えば当たり前かもですが…。)

 

私自身がデスカンファレンスに期待している

患者様の命を糧にした終末期医療・緩和ケア分野の新たな発展

 

につながるよいデスカンファレンスになったと思いました。(願わくばもっとじっくりと検討したい・・一時間ぐらいは欲しいなぁと思いました。)

 

藤田

 終末期リハビリテーション講習会情報はこちら

kanwakea-fujita.hatenablog.com

 

 

 

終末期医療における「その人らしい生活」とは?

こんにちは、終末期作業療法士藤田です

 

先日珍しく緩和ケア病棟で自宅退院をされる患者様を担当させていただきました

 

無事退院することができまして、普段とは全く違う経験であり良い機会をいただきました。その時の話です。

 

退院をしたい強い気持ちが強い患者様、その中で病棟スタッフが注意したことは「転倒しない生活」でした。

一方の患者様は年齢的にもまだ50代の方であり、当然運動をしたい、元気になりたいという気持ちは強いです。

 

ここで医療職側の見解(リスク管理を優先する)と患者様側の希望(運動したい)が乖離します。

 

この時のカンファレンスで病棟から言われた言葉は「マンパワーが不足し、転倒リスクがあるので病棟内での自主トレーニングは行えない」でした。

病棟のマンパワーの関係も勿論大切なことなのでできないならそれはそれでよいんですが。

 

問題なのはそれら「病棟ではできない」という情報が患者様ではなく私のところに来ることでした。

「自主トレーニングはリハビリでやってください」それは私ではなく、患者様本人に言うことではないのでしょうか?

 

良くあることなんですが、病棟での自主トレなどを依頼した際に「藤田さんが言ったからやっている」と言われることがあります(さすがに緩和ケア病棟では言われたことはありませんが)。

 

今回も同様です。自主トレの是非を患者さんではなく私に委任するような力動が働きました。

 

私としては納得ができないので

「それは病棟とご本人の契約の問題であって私の出る場所ではない、忙しくてできない、転倒をフォローできるほどの技術がないからできないとご本人に伝えて検討してください」と伝えました。

 

結果患者様としても「なぁなぁで隠されるのが一番嫌だったから、ちゃんと言ってもらえてよかった、運動はとりあえずリハビリだけにする」と病棟ー患者間での契約が成立し、退院に向けての介入がスタートすることになりました。

 

今回のエピソードは色々なことが分析できますが、最も問題なのは

 

「患者様主体の介入ではないということでしょう。」

 

患者様のHOPEと医療側の現状が乖離しておりNEEDSに応えられないことは非常に多くあります。

 

であればそれを隠さずにご本人と話し合いの後に折衷案を検討していくのが本来の患者様とのかかわりではないのでしょうか?

 

現に今回のケースであれば患者様が望まれたことは「自分のわがままを聞いてもらうこと」ではなく「平行な関係での対話」ということになります。

 

我々医療職は患者様にそう言った「事情によりできない」を伝えることを良しとしませんが

 

その裏には「医療者は患者より上の立場ではならない」という感情があることも忘れてはなりません。

 

そして「自分たちの都合のいい患者様が良い患者様である」という認識になっている部分についても疑問を持たねばなりません。

 

「その人らしい生活」と我々はよく言いますがそれが

 

「医療者にとって都合のいい生活」

にならないように患者様が求めるものと、医療職のできることできないことをちゃんと伝えながら関わっていくことが医療の本質だと思います。

 

自分の都合の良いように患者様を操作しいいことをした気になっていないか?

 

是非振り返ってみてください。

 

藤田

 終末期リハビリテーション講習会情報はこちら

kanwakea-fujita.hatenablog.com

 

最期までリハビリ介入をすることにどれだけ重みを置くのか?

こんにちは、終末期作業療法士藤田です

 

本日、病院に見学の方がいらっしゃいました。

 

同業者の方で、がん分野に携わるベテラン理学療法士さんでした。

緩和ケアのリハビリテーションをということで、見学に同席して頂き

 

重症度の高い患者様であり、深い鎮静状態の方、おそらく時間単位の方に介入をさせていただきました。

 

ご家族様から、患者様が話せていた時はリハビリのことをいつも話してくれた。

 

とお話をいただき、余談の許さない状況ではありましたが、タッチングレベルでの介入と、Rhの様子のフィードバック、ご家族様とご本人様のエピソードを引き出すことができるように介入させていただきました。

 

藤田個人としてはこのように

 

「患者様の最期の時間の中にリハビリを入れていただける」ことについて

患者様、ご家族様に感謝をしつつセラピストとしての最重要な部分だっと捉えております。

 

勿論無理やり入るのではなく、患者様とご家族様がご自身の意志でどのようにRhを選択されるのか?

 

その機会を持っていただけるように介入の際は注意しております。

 

見学されたPTの先生は驚かれていました。

 

「最後の最後までリハビリをできることに驚いた」

 

と言われました。

 

同時に「今の職場だと具合が悪くなった時に看護師から止められてしまう」

とも。

 

やはり、終末期分野にリハビリが介入することは特殊であり、珍しいようです。

私も今の病院に入職した際はこの部分に苦しみましたが

 

「患者様が望まれるのであれば、Rhはどのような状態の方にも適応である」

事を強調し、関わり続けることで、今現在、患者様の主体性にのっとりながら逝去直前までRhをさせていただいております。

 

思うにこの「最期まで介入できないこと」が

 

セラピストのバーンアウト燃え尽き症候群)を加速させるのではないかと思っております。

 

そう言ったことを見学されたPTさんにお話ししましたがやはりピンとは来ないようです。

 

終末期医療におけるリハビリテーションはまだ始まったばかりの分野であり、今までの常識と違う部分もあるようです。

 

それをいかに破っていくのかが重要なように感じました。

 

まずRh側は改めて終末期・緩和ケアのリハビリテーションについて検討し、病棟内に浸透していくよう発信する必要があります。

 

そして受ける医療スタッフ側もリハビリテーション固定観念(端的に言うと「動かなくなったら適応外」)は取り払わなければいけません。

 

双方の歩み寄りが大切です。

 

私の経験上「キャリアが長いスタッフの方が新しい概念を受け入れにくい」

 

そのように感じております。その為にも終末期リハビリテーションに興味を持たれたスタッフは周りを気にせず、どんどん発信していきましょう。

 

実際に私も何度も不思議な顔をされながら、何とか緩和ケアリハビリテーションの専門家として、他の医療スタッフとコミュニケーションをとれています。

 

特に緩和ケア分野を志す若い世代のセラピストの方は

 

先輩方が動くのを待つのではなく、自分から発信してみてください。

 

環境が整うことでバーンアウトのリスクも減らしながら、患者様の命・人生に向き合うリハビリテーションができると思います。

 

藤田

 終末期リハビリテーション講習会情報はこちら

kanwakea-fujita.hatenablog.com