終末期・緩和ケアを専門とする作業療法士のブログ~死について、もっと前へ…~

終末期・緩和ケア分野で働いている作業療法士の藤田と申します。日々の臨床で感じること、思ったこと今までの経験などを書き記していきたいと思います。終末期リハビリはまだまだ始まったばかりの分野です、意見交換できれば幸いです。

終末期医療における「その人らしい生活」とは?

こんにちは、終末期作業療法士藤田です

 

先日珍しく緩和ケア病棟で自宅退院をされる患者様を担当させていただきました

 

無事退院することができまして、普段とは全く違う経験であり良い機会をいただきました。その時の話です。

 

退院をしたい強い気持ちが強い患者様、その中で病棟スタッフが注意したことは「転倒しない生活」でした。

一方の患者様は年齢的にもまだ50代の方であり、当然運動をしたい、元気になりたいという気持ちは強いです。

 

ここで医療職側の見解(リスク管理を優先する)と患者様側の希望(運動したい)が乖離します。

 

この時のカンファレンスで病棟から言われた言葉は「マンパワーが不足し、転倒リスクがあるので病棟内での自主トレーニングは行えない」でした。

病棟のマンパワーの関係も勿論大切なことなのでできないならそれはそれでよいんですが。

 

問題なのはそれら「病棟ではできない」という情報が患者様ではなく私のところに来ることでした。

「自主トレーニングはリハビリでやってください」それは私ではなく、患者様本人に言うことではないのでしょうか?

 

良くあることなんですが、病棟での自主トレなどを依頼した際に「藤田さんが言ったからやっている」と言われることがあります(さすがに緩和ケア病棟では言われたことはありませんが)。

 

今回も同様です。自主トレの是非を患者さんではなく私に委任するような力動が働きました。

 

私としては納得ができないので

「それは病棟とご本人の契約の問題であって私の出る場所ではない、忙しくてできない、転倒をフォローできるほどの技術がないからできないとご本人に伝えて検討してください」と伝えました。

 

結果患者様としても「なぁなぁで隠されるのが一番嫌だったから、ちゃんと言ってもらえてよかった、運動はとりあえずリハビリだけにする」と病棟ー患者間での契約が成立し、退院に向けての介入がスタートすることになりました。

 

今回のエピソードは色々なことが分析できますが、最も問題なのは

 

「患者様主体の介入ではないということでしょう。」

 

患者様のHOPEと医療側の現状が乖離しておりNEEDSに応えられないことは非常に多くあります。

 

であればそれを隠さずにご本人と話し合いの後に折衷案を検討していくのが本来の患者様とのかかわりではないのでしょうか?

 

現に今回のケースであれば患者様が望まれたことは「自分のわがままを聞いてもらうこと」ではなく「平行な関係での対話」ということになります。

 

我々医療職は患者様にそう言った「事情によりできない」を伝えることを良しとしませんが

 

その裏には「医療者は患者より上の立場ではならない」という感情があることも忘れてはなりません。

 

そして「自分たちの都合のいい患者様が良い患者様である」という認識になっている部分についても疑問を持たねばなりません。

 

「その人らしい生活」と我々はよく言いますがそれが

 

「医療者にとって都合のいい生活」

にならないように患者様が求めるものと、医療職のできることできないことをちゃんと伝えながら関わっていくことが医療の本質だと思います。

 

自分の都合の良いように患者様を操作しいいことをした気になっていないか?

 

是非振り返ってみてください。

 

藤田

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