終末期・緩和ケアを専門とする作業療法士のブログ~死について、もっと前へ…~

終末期・緩和ケア分野で働いている作業療法士の藤田と申します。日々の臨床で感じること、思ったこと今までの経験などを書き記していきたいと思います。終末期リハビリはまだまだ始まったばかりの分野です、意見交換できれば幸いです。

終末期におけるリハビリテーション③~身体機能の再認識~

こんにちは、終末期作業療法士の藤田です

 

終末期・緩和ケア分野におけるリハビリテーションの役割

今回は身体機能の再認識について

 

自己分析から得られるもの

前回の「自己分析」と重複する部分があります

医療者の介入ですべてではないにしても自己分析が進むと患者様にとってさまざまなものが見えてきます。

その中でもっともよく見えるものは「自身の身体機能」になります。

終末期・緩和ケアにおいてリハビリテーションでは身体機能の再認識の一助となる様介入しています。

 

再認識とは

感謝様が漠然とした目標に対して、実際どうしていけばよいのかを考えるための物差しです。

分かりやすく言えば「できるか・できないか」の判断を患者様本人に行っていただき、そのうえで今後の自分の生き方について選択していくことです

具体的なできることのラインが見つかることで、現状についての認識がクリアになり、漠然とした目標に対しても見通しが広がります。

殆どの方が望むのは「家に帰りたい」ですが、現状を再認識することで「どうすれば帰れるのか?」と患者様ご本人が考えるようになり、生活の主体性が再度生まれます。

再認識とは患者様が「人生の決定権を再び取り戻す」第一歩であるともいえます。

 

人生の決定権主導権についてはコチラの記事をご参照ください

 

kanwakea-fujita.hatenablog.com

 

再認識の落とし穴

自己分析と同様「誘導しないこと」が最も重要です。

医療者にとっての「できない・できる」と患者様にとっての「できない・できること」は別物である(別の次元であるもの)という認識を医療者は常に持たねばなりません。

「歩けましたね・動きましたね」と伝えていくことは大切ですが、その構造が

「患者様に良くなってもらいたいという思いが強い医療者自身が安心するため」の声掛けとなることもしばしばあります。

 

医療者のエゴで全てを再認識させるものではない

患者様にとっての「知りたい事・知りたくないこと」はそれぞれ個々に違いますのでご本人の言葉やDrからのICがどのレベルで行われているのかは事前に知る必要があります。

しかし、医療者が留意することは「落ち込ませないこと」ではなく「どのような情報を希望されるか」の目線になります。

医療者側の推測ではなく「患者様ご自身の言葉」が最も重要になります。

 

落ち込ませるのは悪いことではない

身体機能の低下を実感することで患者様が傷ついてしまい生活意欲が減退してしまうのではないか?というご意見をいただくこともあります。

そして落ち込まれた方にも多くお会いしてきました。しかしご本人が選択し、バッドニュースが伝えられ、落ち込むということは決して悪いことではありません。本人の望む範囲であればきちんと「落ち込む権利」を保証することも大切になります。

 

そして一番重要なことはそう言った事柄で傷つくのは患者様ではなく医療者です。

 

医療者の傷つき

先ほど、「患者様に良くなってもらいたいという思いが強い医療者自身が安心するため」と書きました。

逆に言えば患者様の気持ちに関わらず「医療者目線でできないこと」が多くなってしまうと医療者の傷つきやバーンアウトが起こります。

終末期医療に携わる医療者の悲嘆でよく聞くのはやはり「自分では何もできなかった」という「医療者としての信念が揺らぐこと」であると感じます。

その部分に対して「強い心を持とう」等の声掛けがどれくらいの意味を持つのかは私には分かりませんし、私は言えません。

患者様がショックを受けるからという理由で告知であったり再認識に抵抗を抱くのは実は患者様の為というより医療者本人の希望であることも多いように感じます。

厳しいことを言ってしまえば…それは医療者のエゴであり片手落ちのリハビリテーション(他人に治療してあげたい気持ちが優先し患者様自身の選択の復権の部分が抜け落ちている)ではあるのですが

医療者個人の信念が曲がってしまうことにもなりかねないので、この部分に関しては簡単に「頑張りましょう」とは言えない部分でもあります。

 

ただ一つ言えるのはそう言った部分が

「辛いことに対してきちんと落ち込める権利を制限してしまう可能性がある」ということです。その人の「死の権利」を保証する介入がリハビリテーションであり、医療行為なんだということを知るだけでも幾分気は楽になるのではないでしょうか?

 

医療者の傷つきについては色々な考えがあると思いますが、患者様のためを思うあまり傷つき、バーンアウトを起こしてしまう医療者が後を絶ちません。

専門書を読んでも医療職側の傷つきについては記載されているものが少ない印象です。

その為にデスカンファレンスはあるのでしょうが日々の業務に追われて十分に行えないことも多いのではないでしょうか?

 

私個人の試みとして緩和ケア病棟のスタッフと協力をして意見交換会の場を作ろうと働きかけているところです。

馴れ合いの場でもよいので共有することで連帯感がうまれ、より死について前に進める会になることを目標にしています。来年稼働予定です、うまく機能すると良いのですが…。追って報告いたします。

 


バーンアウトについてはこちら

kanwakea-fujita.hatenablog.com

デスカンファレンスについてはこちら

kanwakea-fujita.hatenablog.com

 

具体的なリハビリテーションでのアプローチ

身体機能の再認識のためのアプローチはほぼ一般的なのリハビリテーションと同じになります。

しかし目線は「成功体験」のみではなく「できないこと」も重要になるので、誘導ではなくご本人に「どうでしたか?どこが大変でしたか?」と声掛けが必要になります・

 

運動的アプローチ

大半の方の目標である「歩きたい」をツールにして介入することで身体機能の認識を促す。

ご本人のできると感じるラインをまず行っていただき、その結果次第で道具の提案や移動遮断の検討を提示し、ご本人に選択して頂く方法

当然ながら「医療者の判断で」歩行練習を中断することは禁忌です。あくまでRhの役割は患者様自身が現状を認識して頂くためのお手伝いです。

そのため大きなけがに繋がらないためのリスク管理と専門家としての見解のとどめましょう。

具体的な声掛けとしては「歩けないですね」ではなく「歩いてみてどうでしたか?」

「歩行器を使いましょう」ではなく「こういったものだとより楽にできると考えますがどうですか?」等

あくまでいち専門家の意見として上下関係が生じないことが最も大切です。患者様の人生をコントロールしないように細心の注意が必要です。

 

作業的アプローチ

ここで言う作業とは「手工芸」のみではありません。

今まで生活の中で行っていた習慣や趣味を継続して行い、その時々の状態に合わせて規模を拡大縮小していく中で生活の変化を感じていただく方法。

お茶のみ、車いす乗車、散歩、いつものマッサージ等「いつもの生活の変化」を利用していく方法。

単純な歩行練習より患者様の語りが表出される印象があります。

(※勿論歩行練習も「いつもの時間にいつもの距離を」が変化することが自己認識に繋がります)

具体的な声掛けは「いつもの時間が難しくなりましたね」ではなく「時間変更はいつでもできますよ」とご本人に選択して頂くことを第一に介入する。

 

ADLフォロー

リハビリと言えばADLといった部分も多いですが、身体機能の認識に高い効果を発揮します。「自分の何が大変なのか」を最もリアルに感じる介入になります。もちろんこちらで設定するのではなく、ご自身の生活の目標を聴取し、できるだけ近い環境(病棟なのか自宅なのか、手すりの有無等)に設定していただき、患者様ご自身にイメージして頂ただく。

生活動作を取り入れた現状機能を再認識することで、歩行同様、現実的な目標であったり、自身の根柢、スピリチュアルペインの気づきにつながります。

具体的な声掛けは歩行練習と同様です。

 

疼痛を用いた再認識

 終末期・緩和ケアの方の場合疼痛が大きくて行動が制限されると同時に痛みによる恐怖から動作能力が著しく低下することがあります。

疼痛を大きく誘発することは勿論禁忌ですが、各生活動作を通じて「どこまでやったら痛いのか?」患者様自身に言語化して頂くことも離床のバロメーターになります。

痛みの範囲の再認識を促すことで車いすや歩行補助具の情報提供や、ご本人の選択を行いやすくすることもRhの役割です。

 

まとめ

  • 自己分析が進むと患者様は身体機能に目を向けるようになる。
  • 再認識によって現状の見通しがクリアになる。
  • 再認識することは人生の決定権を取り戻すことの第一歩である。
  • できないことに目を向けること谷抵抗を感じる医療者は多い
  • できないこと、あきらめることでか傷つくのは医療者本人である。
  • リハビリテーション(自己の復権)には「落ち込める権利」「自己の市に向き合う権利」も含まれる。
  • 成功体験のみにフォーカスを当てるのではなくどこが大変だったかにも目を向けることができるように働きかける。

 

最後に

先日患者様に「気を遣わなくてもいいから、腹を割って話してくれ、どうするかは自分で決めるから」と言われました。

kanwakea-fujita.hatenablog.com

その方も先日逝去されました。
もしこちらが話さずに、自己分析・新体制の再認識(もう歩けない)が無ければ恐らく回復の希望の身にしがみつき、家に帰ることはできなかったでしょうし、自己の決定がなされず無念だけが残ったかもしれません(実際は患者様のみぞ知る部分ですが)。

 

患者様がより良い選択を行えるよう、医療職は患者様と関わっていく必要があります。

 

医療者の傷つきとそれへの対処方法についてはおいおい記事にしていきたいと思います。

 

終末期におけるリハビリテーション

kanwakea-fujita.hatenablog.com

大まかな部分は以上3点になります

関係性の再構築

自己分析の促し

身体機能の再認識(本記事)

 

以降は上記3点の応用になります。少しずつですが記事にしたいと思いますのでよろしくお願いします。

 

藤田

 終末期リハビリテーション講習会情報はこちら

kanwakea-fujita.hatenablog.com

 

 

終末期におけるリハビリテーション~自己分析の促し~

こんにちは、終末期作業療法士の藤田です。

 

おかげさまで前回の記事に多くのアクセスが付きました。

終末期におけるリハビリテーション①~関係性の再構築~ - 終末期・緩和ケアを専門とする作業療法士のブログ~死について、もっと前へ…~

 

それだけ終末期リハに対して興味を持たれている方が多いのだなぁと、嬉しくなりました。

 

前回の関係性の再構築はどちらかというと「医療者に向けての」内容でした。

今回は患者様の変化について

リハビリの目標の一つである「自己分析の促し」について

 

自己分析は自己の復権の第一歩であり目標 

患者様の多くはは入院・がん告知・機能の急激な低下などから「できること」「できないこと」が判別ができないくらいショックを受け、「自分は何もできなくなった。」と感じたところからスタートします。

リハビリ介入前に困っていることを伺うと「良くわからない」と話される方を多く見かけますし、それが、MMTが5であろうが拘縮が無かろうが、車いすにスムーズに移ることができようが「何もできなくなった」と話される方に多くお会いしてきました。

現状の認識・自己分析が行えないと、当然リハビリも進みません、そして自分の人生を自分で決定することが難しくなります。

 

まず医療者がすべきことは「ショックを受けている患者様」を認識することです。

患者様は急激な物事の変化に取り残され、体も心も動かしたくても動かせない状態であるということを理解しなければなりません。

そのような方にいきなり「頑張って歩きましょう」と言えませんし言ったとしても患者様には届かないことが多いです。

緩和ケア・終末期リハビリテーションでまずすべき目標は何が何でも立たせるではなく「現在の自己について」向き合う時間を作ることです

 

自己分析を促すことが患者様に与える影響

上記ショック期は「この間まで動けていた自分」と「病状が変化し、自分のイメージとは離れた自分」の乖離によって生まれることが多く、医療者の目標はそれら現状とのすり合わせのための自己分析になります。

患者様様ご自身が自己分析を行うことで「どれくらい動けるのか」「どうなったら痛いのか」を実感し、がむしゃらに機能を上げるのではなく、目標に向かってどういったことが必要なのかを患者様側から考えることができます。

そうすることで目標がより現実的なものとなり、終末期・緩和ケア分野でのリハビリテーションの目標である「自己の復権・主体性の再獲得」につなげることが可能になります。

 

自己分析の促しの落とし穴

前回同様ですが「医療者の都合の良いように誘導しないことです」

あくまで主体である患者様が「自分で考える、感じる時間」を持つことです。

「医療者が向き合わせてあげる」ではなく「患者様が向き合う事ができる環境」を構築することですので。

前回の関係性同様、患者様が主体であることを心がける必要があります。

 

自己分析を促す方法

方法は様々ですが、患者様との関係性や生活、時代背景、職歴などによっても大きく変わります。

①前もって目標として「自己分析」を提示する(ボトムアップ

患者様の語りを聴きながら「現状『何がどうなっているか分からない』と思うので、まずはリハビリを通じて整理しましょう」という提示をし「できること・難しいこと」を感じていただく。

自己分析を押し付けるのではなく、あくまで「現状の辛さ」を共有した上で介入し、ご自身の中でのできるラインを明確にしていく。

 

②ご本人の掲げる目標を行い、分析を促す(トップダウン

「明日になれば歩ける」「俺は大丈夫だから」そう話される方も多く看取ってきました。男性に多い印象です。

自己分析を話してもピンとこない「自分は元気だと感じている(実際はショックによる病状の否認の意味合いが強いのですが)」方の場合は①のようなボトムアップで介入をしても自己分析にはなりません。

医療者がすべきことは、医療者の目線でほぼ不可能であることであっても。まず本人のしたいことを理解、共有し、実際にリハビリで行っていただく。

その中で「難しい」と感じられたところでRhはスタートします。

※勿論リスクには最大限配慮しますが、前に進むためであれば極端な話大怪我でなければ転んでも良いのだと思います。

私は声掛けとして「転ぶ可能性がありますが、好きなようにやってみてください、転んでも怪我しないようにお手伝いします。そして本当に危なかったらプロとして止めます!」と話すことが多いです。

 

③できていることを強調するように働きかける(言語化)

ショック期から抜けられない、Rhに依存が強い、性格として自分をほめられない方も多く看取ってきました。

基本的にはご自身の感覚を最優先しますが「言語化」することで安心につながる場合もあります。同時に「本人にとっての良い部分」を認識され、自己分析に繋がります。

初回介入時と比較して頂くことや歩行距離や車いすのギャッジアップ角度など数値としてわかりやすく向上したことを共有するのも方法としてはあります。

しかしこの方法は前回の記事

「得意顔になって色々話している医療者に無理に合わせてくれている患者様」

終末期におけるリハビリテーション①~関係性の再構築~ - 終末期・緩和ケアを専門とする作業療法士のブログ~死について、もっと前へ…~

 の部分につながる可能性もある為、注意が必要です。

①②の方法に抵抗感がある、苦手な療法士は、この「言語化」を積極的に行われますが、あくまで言ったことでの「分析の促し」が本題なので共有の後に目標の再設定が可能かどうかの検討が必要になります。

 

④何もしない

ショック期(転倒直後・急激な病状の進行・予後告知など精神的疼痛が著しい状態と定義)の方の場合、無理に活動を促すことで身体的のみではなくトータルペインにつながる可能性があります。

精神科で言う急性期と同様、無理に離床を促したり自己分析を進める事は禁忌になります。

まずは会話作業やBEDSIDEでの軽運動・マッサージなどのリラクゼーションで患者様が安心できる場を作り、徐々に意識を生活に向けていくことが必要になります。

私の経験上、この場面で医療者側がしびれを切らして患者様との関係性が変化した症例を何度も見ております。
患者様に医療者側が動揺してしまう部分もあるかもしれません、勿論いけないことではありませんが、認識を持って行動することが大切です。

 

まとめ

今回は最初の患者様の目標である「自己分析の促し」についてまとめました。

「自己分析は現状と自己イメージのすり合わせ」

「『何もできなくなった』からスタートする患者様が多い」

「医療者主体ではなく、患者様が自己分析のできる環境を作る」

「①介入時にRhの最初の目標は現状を知ることであると伝える」

「②医療者目線でできないからダメではなく、実際に行って頂く」

「③言葉として伝え際は、医療者主体にならないように注意する」

「④ショックの強い患者様に無理な分析を強いらない」

大まかなポイントは上記部分になります。

 

終末期医療・緩和ケア・リハビリテーションにおいて患者様がより良い最期を迎えるためは自分ともう一度向き合い、今の自分で何ができるのか?何をしたいか?を知ることが重要になることが非常に多いです。

医療者主体ではなく、患者様が主体となること、「弱者」とみなされてしまう患者様が理学療法作業療法問わず、リハビリテーションの本来の目的である「人生の復権」をもう一度行えるようにリハビリを行っていく必要があります。

 

この部分に関してはより掘り進めて行きたいところですが、それはまた別の機会に。

 

少しでも参考になる部分があれば幸いです。

私自身の知識を深めるためにもご意見などいただければ幸いです。

 

藤田

 

 終末期リハビリテーション講習会情報はこちら

kanwakea-fujita.hatenablog.com

 

 

 

 

 

 

終末期におけるリハビリテーション①~関係性の再構築~

こんにちは、終末期作業療法士藤田です。

 

 


今回からしばらく、藤田の行っているリハビリテーションをまとめたいと思います。

 

今回は全ての基本

「関係性の再構築」について

 

信頼関係は全ての医療者が願うこと

恐らく多くのThがこれが大切だと思っているのではないかと感じております。

関係性が構築されることで心の負担を少しでも減らし。生きる希望がわいてくる。

そう言った内容の文章や言葉を多く耳にしてきました。私も同意です。

 

しかし、ここでThが目標とすることは「患者様と仲良しになる」事ではありません。

 

関係性の構築の落とし穴

 気を付けるべきことは患者様との関係が

「医療者にとって都合の良い関係になってしまうこと」

これに集約されます。これはこの分野における禁忌です。

我々医療者は「人の役に立ちたい」と思いこの仕事を選ばれたと思いますが、その言葉自体が「人の為」ではなく「自分の為」であることにまずは気づかなければなりません。

例を上げますと関係性を作るに当たり「会話」というものをThは用いると思います。

「患者様が喜びそうな話題を年代・性別・趣味に合わせて提供している」

勿論関係性の一助にはなりますが

見方を変えれば

「得意顔になって色々話している医療者に無理に合わせてくれている患者様」

 

という関係性であるともいえます。 実際に私は言われたことがあります

「先生に悪いから本当は嫌なんだけどいい顔してることもあるんだよね」…と。

「人の役に立ちたい」という考え方を否定するつもりは少しもありません。私もそうなので。

しかし、日々の介入の中で「もしかすると患者様が我々に合わせてくれているのではないか?」の目線を持ち、自分主体の関係性ではなく、相手がどう思うのか?常に多角的な視点を持つ必要があります。

 

どのように関係性を作っていくか?

先ほども言いましたが「関係性を作る」ことは「仲良くなること」ではありません。

患者様との関係の中での医療者の役割を明確に評価することです。

医者は患者様にとってどういった役割なのか?看護師は?放射線技師は?掃除の人は?

そして自分はどうなのか?

「尊敬する先生」「気軽に話したい」「プロの目線を求められる」「子の代わり」「主婦仲間」「怒鳴り散らす」等々…

もちろん実例で上げた「本当は嫌だけど、先生に悪いから…」の関係性も内包されたものになります。

 

医療者の心構え

自分がどのような立ち位置を患者様が求められるのか?

まずそれを評価せねばなりませんし、患者様の作られた医療者との関係性を否定してはいけません。

当然これらの役割には優劣はありませんので、例えば「怒鳴り散らされる」関係も必要になります。

要するに「患者様が安心して怒鳴り散らすことができる役割」

も必要になってくる事があります。

とはいえ、その役割を担うことは医療者にとっての強い精神的負担にもなります

 

当たり前のこと

思えば人間関係で合う人、合わない人が現れるのは当然のことです。

ましてや多くの患者様は我々より長く人生を渡り歩き、その信念のもと生きてきた方々です。

そんな中で全員に分け隔てなくいい顔をする人がどれくらいいるのでしょうか?

医療者に信頼を向けるも怒りをぶつけるのも患者様の自由であり、選択されたことです。

見るべきことは「医療者にいい顔を見せる部分」ではなく「良いも悪いも医療者に対してどのような関係性を患者様が作られているか」の部分です。

 

「患者らしく」でしばりつけない

これらの話を講習会で話すと多くの人が抵抗感を示されます。

「患者様が怒るような状態にしてはいけないのではないか?」と

しかしそれは患者様が「怒る状態」が嫌いな「医療者」ということであり、それは行ってしまえば「医療者にとって都合のいい関係性」とも言えるかもしれません。

 

人は病気になる・入院する・介助が必要になると、ご本人の意思と関係なく、言い方悪いですが周りから「弱者」とみなされます。

そうなると関係性が変化します。医療者も「弱い人」として患者様を見るようになり、「かわいそうな人にいいことをしたい」と自分主体の思考に陥ります。

 

そして、「患者様は患者らしくあるべき」の感情が生まれます。

「医療者の言うことを聞くべき」「いつも笑っていてほしい」「怪我をしてほしくない」等々…

勿論、患者様の中には、そう言った「患者様像」を選ばれる「医療者にとって都合の良い関係性」を作る患者様もいらっしゃいます。

しかしその人ばかりが正しい関係性では無いという意識を持つことが大切になります。

関係性の「再」構築とは(本来そうではないにもかかわらず病気になったせいで)弱者と見なされてしまった方と再度人間本来の関係性を築くことになります。

リハビリテーションとは re(再び)+ habilis(適した)、すなわち「再び適した状態になること」であり

その中には「権利の回復」が含まれます。「患者らしく」から再度「人間らしく」の権利を回復させることもリハビリテーションです。

 

具体的なリハビリテーションの方法

関係性を再構築するための方法は種々ありますが、まずは「語り」を聴くことです。

リハビリ職の方なら実感があるかもしれませんが、

リハビリテーションは1対1で関わることが多い職種であることから、感情が向くことが非常に多いです。

藤田は作業療法士ですのでその場に作業を介します。(理学療法士であれば運動、やっていることは同じです)

目標も明確に提示できますし、活動をしながら会話作業を入れることも可能ですので関係性の再構築を図りやすいです(スポーツトレーナーと生徒の関係とも言える)

その為「語り」が表出されやすい構造になります。

話をしていく中で本人の語りを待ち、傾聴していく、そしてこちらの意見で上書きしない事が重要です。

こちらが良かれと思って話してばかりいると、患者様主体の語りの機会が喪失します。

あくまで患者様が主体であること、その中で語りを待つことで、「仲の良し悪しではない」関係性の構築を行うことの足掛かりとなります。

 

まとめ

今回は介入の中で特に大切な「関係性の再構築」についてまとめました。

「仲の良し悪しが関係性の構築ではない」

「患者様の目線で自分や他の医療者どういった役割なのか、関係性なのかを評価する」

「常にこちらに対して人生経験の豊富な患者様が『合わせてくれている』という目線を持つ」

「患者様の感情を否定しない、病人にとって都合の良い人間像に誘導しない」

「リハビリは語りを引き出しやすい職業であり、そこから関係性が構築される。語りをこちらの都合の良いように上書きしない」

 

大まかなポイントは上記部分になります。

 

関係性が明確になることで患者様のHOPEを引き出すことや、生活意欲の向上につながります。それが終末期・緩和ケアリハビリテーションの始まりだと思います。

 

少しでも参考になる部分があれば幸いです。

私自身の知識を深めるためにもご意見などいただけレば幸いです。

 

藤田

 終末期リハビリテーション講習会情報はこちら

kanwakea-fujita.hatenablog.com

 

 

終末期におけるリハビリテーション~はじめに~

こんにちは、終末期作業療法士の藤田です。

 

先日「藤田さんは終末期の方に何をしているのかよくわからない」と言われました。

 

終末期・緩和ケア分野のリハビリテーションがまだまだ発展途上なのだなぁということをひしひしと感じました。

 

来年、勉強会を開くそうです、藤田が何をやっているのかの。

 

かなり尖ったことをしている実感はあるのですが、発信をしないといけないというのも事実です。どこまで理解されるかの不安はありますが…

 

過去の記事では思いつくままに色々と散文的に書いてはおりましたが、

良い機会なのでまとめてみたいと思います。

 

終末期患者様における藤田の行っているリハビリテーションの目的

(以下リンクに飛びます)

  1. 関係性の再構築
  2. 自己分析の促し
  3. 身体機能の再認識
  4. 生活範囲の拡大
  5. 生活意欲の向上
  6. ストレスコーピングの一助
  7. 暇つぶしの相手
  8. ADLフォロー

 

思いつく部分をざっくりというとこの8つかなぁと思います。

そして終末を迎える患者様に対してのアプローチは主に

 

上の3つがメインになってきます。

  1. 関係性の再構築
  2. 自己分析の促し
  3. 身体機能の再認識

 

この3つです。

 

正直、後の5つはおまけです。

 

そしてリハビリからの働きかけという面では大したことしていません。

 

私が何度も記事にしている「患者様の選択と、関係性の構築」ができれば大枠はできます。

 

逆に言えば上3つができなければいつまでたっても患者様にリハビリは提供できません、そして医療者はいとも簡単にバーンアウトしてしまいます。

 

 

次回からしばらくはこれらについてまとめたものを1つずつ説明していきたいと思います。

 

藤田

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一般病棟での終末期患者様への介入。

こんにちは、終末期作業療法士の藤田です。

 

先日、珍しく一般病棟の患者様を受け持つことがありました。

 

とはいえ、余命は短い月単位、脊椎転移が急激に進行し、不完全ながらも立位はほぼ不可能となった対麻痺の患者様です。

 

病状説明もまだされておらず、患者様は急激な変化に戸惑われており

「今後の自分がどうなるのか?」「家に帰れないのか?」「家族に迷惑がかかる」

そういったことを話されていました。

 

同時に現状が分からないことへの不安から「今後どうなるのかはっきりと伝えて欲しい」と私へも話されました。

 

Drからの情報がない状態であったためややはぐらかしたような表現をする私に対しても怒りを向けられました。

 

終末期リハビリはまず

「目に見えて終末を考えなければならなくなるエピソードによる急激な心理・スピリチュアルペインの出現」

からスタートになると考えております。私個人としては「急性期・ショック期」と表現しております。

 

緩和ケア病棟の場合、それらがある程度落ち着いた場面からのスタートになりますが、一般病棟での介入の場合「昨日から動けなくなった、早く帰らないと・・・治らないと・・・」からスタートする事が多いです。

 

リハビリの目線から言えば今回のケースであれば「足が動かない」→「移動できない」→「車いす以上の練習をしましょう」といった流れになりますが

 

この「ショック期」の方に対して安易に「車いすに乗りましょう!」と声をかけることがどれだけ責任がかかるか・・・?

終末期に携わる人間は考えねばなりません。

 

終末期医療で必要なことは患者様ご自身が現状を認識し、そのうえでどういったリハビリ、医療行為を求めるのか?ということです。

 

この「ショック期」の方の場合まず行わなければならないことは「自身がどうなってしまったのか?」の不安・疼痛を緩和することです。

(勿論そのためにはPCT介入・服薬による疼痛管理がなされた上での話になります。)

 

その方法としては

① Drから現状についてのICを行う

② Rhで自身の「できること・できないことに向き合っていただく」

③ 補助具の導入をする際に「あくまで通過点」とした上で使用して頂き、その有用性を実感→病状認識を促す

大まかに分けると藤田はこのような方法で患者様と向き合います。

 

今回の症例の場合、「どうなってしまったのか?」を知りたいと強く感じておられました。その為Drへ相談し、今後のことについてまずご本人にICをしていただき、その後にOTの見解を伝えることとなりました。

 

患者様は「自分がどうなっているか分かった、それでも家に帰りたい、家族に迷惑をかけたくない奇跡的に治ることを期待してリハビリを頑張りたいし、ダメだった場合のための車いすの乗り移りも練習したい」

 

と話されました。

 

以前の医療では病状は本人に伝えてはいけないという風習がありました、今でも「ショックを与えるからいけない」と本人は抜きにしたICで家族にのみ伝えられることもあります。

 

その考えも悪いとは思いませんが、今回の症例の場合、「自身に情報がない」ことに心理・スピリチュアルペインが増強していると同時に、伝えたことで自身の残りの人生に見通しが立ちました(これは私の主観なので真実はご本人のみぞ知るですが…)

 

その方が私に言った言葉

 

「お願いだから、腹を割って話してほしい、できること、できないこと、何がしたいのか言ってほしい。先生を信頼したい、嫌なことはこっちからも言うそう言った関係を作ってほしいんです」

 

所謂「患者ー治療者関係」を見直す良い機会になり、大変勉強になりました。

 

良かれと思って都合のいい言葉を選び、上下関係を作り、生殺与奪をコントロールし、患者様の疼痛を増強させていませんか?

 

もう一度患者様とのかかわり方を見返すチャンスかもしれません。

 

藤田

 終末期リハビリテーション講習会情報はこちら

kanwakea-fujita.hatenablog.com

 

 

ロビン・ウィリアムズ氏の自殺から考える今後の医療の在り方

こんにちは 

終末期作業療法士の藤田です。

 

少し前になりますが、このような記事を見かけました

headlines.yahoo.co.jp

 

ロビン・ウィリアムズ氏が先日自ら命を絶たれ、衝撃が走りました。

 

その中で藤田が気になった文章以下の部分

 

2011年にロビンと結婚したスーザンは、ロビンがみずから命を絶ったのは、自分の人生の主導権を得る感覚を取り戻すためだったからだと解釈しているという。

「ここ1年、何がロビンを死に至らしめたか考えるのに時間を費やしました。私たちが何と闘っていたのか、様々なことと闘うことになった原因はなんだったのかを理解するために。1人の医師は『ロビンは自分が思考を失いつつあること、そしてそれに対して自分が無力であることをわかっています』と言っていました」「彼はそれをわかっていました。できるだけ最善を尽くしてうまくやろうとしていましたが、最後の月はそれができていませんでした。かなり混乱していました」「ただ彼はノーと言いたかっただけだと思いますし、私はそのことを1ミリたりとも責めるつもりはありません」。

※ 上記リンクより引用

 

「自分の人生の主導権を握る感覚を取り戻すため。」

ここについて皆様はどのように感じられるでしょうか?

 

仮に上記理由でロビンが自らの命を絶ったのだとすれば、彼自身の行動は終末期医療の本来あるべき姿なのかもしれません。そしてそれを受容した家族や医師も…。

 

「その人らしい生活」というのは医療者や家族にとっての都合の良い生活ではありません

 

以前も書きましたが、終末期医療のみならず病院に入るということは患者様~ご家族の間に上下関係が生まれることが非常に多いです。

入院したことで弱者になり、行動は制限され、自分の今後も知ることなく最期を迎える。

 

そう言ったケースに何度も立ち会ってきました。

 

もちろんそれらの選択を否定するつもりは全くありませんが、「人生の主導権」を握ることができなくなった患者様は沢山いらっしゃいます。

 

これからの医療は患者様が自身の人生を「選択」する時代であってほしいと思っております。

 

極端なことを言えばロビンのように「自殺」という選択も必要なのかもしれません。

 

以前この「選択」にて自身の人生を終わらせた男性の方がいらっしゃいました。

 

「自分はもう動くことができない、仕事も引き継いだし、家族に伝えたいこともすべて言った。だから、最後に、俺が頑張ってトイレに移るところを見てくれ、それで、終わりにしよう。」

 

そう家族に伝え、トイレ移乗を介助にて行い無事終えることができその後、強めの鎮静をかけ、2日後に逝去されました。

 

ご本人が「何をすることが自分なのか?」考え、選択されたこと、ご家族が(勿論辛かったでしょうが)「最期まで彼を尊重したこと」(尊重するという表現もすでに上下が生まれておりますが、あえてわかりやすい表現としております)

 

どちらも今後の医療分野に欠かせないことだと藤田は考えます。

 

皆様の臨床の現場で患者様の「選択」はどこまで尊重されていますか?

 

医療職の都合の言いように「誘導・隠蔽」していませんか?

 

患者様が「自殺したい」と言った時にその考えを肯定できますか?

終末期医療に携わる方すべてが考えねばならないことであると思います。

 

最期になりましたが、ロビンウィリアムス氏のご冥福をお祈りいたします。

 

藤田

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kanwakea-fujita.hatenablog.com

 

 

デスカンファレンスに参加しました②

こんにちは終末期作業療法士の藤田です

 

本日、2回目のデスカンファレンスに参加させていただくことになりました。

 

とはいえスタッフの皆様多忙の為時間は20分ほど。

 

以前のデスカンファレンスに望むことという記事を書きましたが

kanwakea-fujita.hatenablog.com

「先に進むことのできるデスカンファレンスであってほしい」と思っております。

 

そして今回、わずか20分ほどでしたが、そう言った内容でのデスカンファレンスを行うことができました。

 

具体的な内容は前回記事にした「その人らしい生活とは」といった内容で

終末期医療における「その人らしい生活」とは? - 終末期・緩和ケアを専門とする作業療法士のブログ~死について、もっと前へ…~

 

まさにタイムリーでした。

 

終末を迎えられた患者様が一番大事にされたことは「自分が自主性を持って行動できること」であったと評価される方に

「転倒リスクを優先した対応や言うことを聞いてもらえず医療職自体が感情的になってしまったのではないか?」とNsの方より提示がなされ

 

「医療職のエゴで患者様のスピリチュアルペインを増加させてしまったのではないか?」といった話題が中心となりました。

 

私自身も「歩きたい」といった方の希望に沿って歩行練習をさせる。しかし当然難しく、ご本人は自分の目標を軌道修正せざるを得ない状況にさせてしまったことに対して良かったのかどうか?という部分について話させていただきました。

 

「患者様のその人らしさを支える」は「医療者の都合の良い人物を作るための言葉ではないのか?」

 

「勝手に良いことと判断して押し付けてしまったのではないか?

 

「できないことを見せつけることで、医療者自身の感情的なストレスコーピングを行ったのではないか」等

 

「患者・医療者関係が平行でなくなってしまっているのではないかという」様々な話題が提起されました。

 

残念ながら具体的な方法は出されないまま時間が過ぎてしまいましたが、非常に有意義な時間となりました。

(私の意見として「選択して頂くことを重視した介入」をするべきではないかと話させていただきました。)

 

終了後Nsの方から言われた言葉が

「リハビリの人がそう言った考えを持ってていただけると助かります」というものでした。

まだまだリハビリ業界はまだそこまでたどり着けていないという認識なのだなぁと思いました。(本来治療を主とするリハビリ職にとっては当たり前と言えば当たり前かもですが…。)

 

私自身がデスカンファレンスに期待している

患者様の命を糧にした終末期医療・緩和ケア分野の新たな発展

 

につながるよいデスカンファレンスになったと思いました。(願わくばもっとじっくりと検討したい・・一時間ぐらいは欲しいなぁと思いました。)

 

藤田

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