こんにちは、終末期作業療法士の藤田です。
少し遅くなりましたが、先日、デスカンファレンスに参加させていただきました。
下の記事で言っていたやつです。
kanwakea-fujita.hatenablog.com
私自身今回の患者様とは4年ほどのお付き合いでして、色々と感慨深いものを思いながらの参加でした。
今回はケースワークに近く、Nsだけではなく、往診のDrや地域連携・ケアマネージャーの方等、かなり規模の大きいもので
すこし(というかかなり)緊張しました。
内容としては各医療者から見た患者様の語りや、生き方を共有する場になりました。
私は入院されている方のみを担当していますが
在宅ですと我々が思っていない、というか見たくないものも多く聞かれるようです。
患者様の言葉や気持ちを共有することの意味はどこにあるのかは人それぞれですが、少なくとも「人によって、場所によってその人の言葉は違う」という当たり前の感情を知ることができ、「患者様が医療者に操作されていない」ということに少しほっとした気持ちがありました。
私自身もこの方とのかかわった事について、お話しさせていただきました。
参考記事↓
kanwakea-fujita.hatenablog.com
リハビリと言うものが終末期分野で導入されていることに驚かれたこと。
そして患者様が離された言葉を周りに共有すると「笑いが起きる」と言うことがありました。
1対1のかかわりがリハビリの特徴であり、患者様から中々言いにくいことも多く聞かれます。
「医療は国を上げたおせっかいだな」
「これ(マットコール)のせいで人間とみられなくなった」
「いい顔してなきゃ、先生たちに悪いでしょ?」
「正直おれがもう駄目なのわかってるんだろ?最近みんな優しいもん」
すべて実際に私の臨床経験で聞かれた言葉です。
患者様・リハビリ間で話された「患者様のひとつのリアルな言葉」であると勝手に思っています、実際は分かりません。
デスカンファレンスではそう言った患者様の「リアルな言葉(と、私が勝手に解釈しているもの)」を共有させていただきました。
そこで笑いが起こるのは、意外な一面を見ることができた驚きなのか、それとも私の話していることがピンと来ないのか、どうかはわかりません。
そしてこの「一対一ゆえに聞かれる言葉」というリハビリの特性について、現在の医療でどれほど重要視されているのかは不明です。
各種講習会でも強調する部分であり、リハビリ内では有名かもしれませんが、果たして医療全体ではどうなのだろう?
とも思います。これからも終末期分野でのリハビリの特性については色々なところで話していきたいところです。
さて
デスカンファレンスはなぜ行うのか?
と言う言葉を聞くことは多いです。
場合によっては
「傷のなめ合いなんかに意味はない」とも言われます。
私の中でのデスカンファレンスは大まかに分けると
① 医療者自身の癒しの為
② 医療の今後の発展の為
③ 情報の共有
と捉えています。
詳細はこちら
kanwakea-fujita.hatenablog.com
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私自身の考えとしては「デスカンファレンスで患者様が救われる」とは思っていません。
どちらかと言うと医療者が「持ってはいけない」と言われがちな「患者様の死」について感情を整理する場なのだろうと思っています。
今回のデスカンファレンスは「感情」の側面より、「共有」の面で患者様の多様性について考えることができたと思いました。
そして「ですカンファをやったから素晴らしい」ではなく、「やったことで何を感じたか」を積極的に話していきたいところです。
亡くなられた患者様との関わりはこれで終わりではありません、医療者からの一方的なものではありますが、これからも患者様のリアルな言葉を日々の臨床に生かしていきたいと思います。
藤田
毎月末開催の講習会情報は↓より。
人の死について、終末期医療について積極的な意見交換が出きれば幸いです。
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