「がん患者は看たくない」と言う医療者が多いのは何故か?理由を知ればバーンアウトは減る?③~「死に向き合うことの恐怖」~
こんにちは、終末期作業療法士の藤田です。
がん患者を看たくない何故そう思ってしまう医療者が多いのか?
理由を考えてみる記事…第3回になります。
kanwakea-fujita.hatenablog.com
前回は「自分の理想とするリハビリではない為」と言う旨の記事を書きました。
kanwakea-fujita.hatenablog.com
今回はより踏み込んで「死」の認識がセラピストに影響する事柄について考察したいと思います。
仮説③
医療者自身が死について考える機会が少ないため。
当たり前ではありますが、死の確率は全ての人に等しく100%です。
当然私も、医療職であったとしても不可逆なものです。
しかし、医療職は患者様以上に死を恐怖します。なぜか?
医療に身体性を取り入れすぎるあまり「死は敗北である」という認識を持たれた方が非常に多いからです。(前回の記事とかぶる部分がありますが。)
以前とある場で「死は100%なんだから、そこに医療者が抗ってもしょうがないじゃないか」と言う話を同業者に話すことがありましたが、そこで帰ってきた言葉は
「それはそうですけど…割り切れないです」でした。
割り切れないのは何に対してなのか?「敗北を認めること」でしょうかね。
我々医療職は大半の方が「人の力になりたい」と思いこの職業を選ばれたと思いますが、それがこじれてくると
「人を治したい」になります。ここがバーンアウトの原因の根幹です。
「人の力になる」は患者様主体の医療、「人を治したい」は医療者主体の医療です。
死に向かう人をトータルペインの目線で生活をより良くし、復権、「死ぬ権利」を取り戻すことのお手伝い(何ができるかはわかりませんが)が終末期医療です。
広い意味では「治す」と捉えてよいかもしれませんが、身体性についての認識が強いセラピストの場合、そこに価値を見つけることが難しい。
その為患者様が死を迎えることは「Th自身の医療者としてのアイデンティティを崩壊させる」ことに繋がります。
どれだけ患者様がThを信頼し、笑顔で最期を迎えたとしても変わることはありません、そのセラピストにとっては敗北なのです。
それが死に向き合うことの恐怖、患者様ではなく医療者自身が死について向き合えないことが拒否に繋がり、そしてバーンアウトにつながるのだと思います。
結局前回の記事と同じになりますが、医療者自身の視野の狭さがバーンアウトを引き起こしていると言っても過言ではありません。
ではどうしていけばいいのだろうか?
まずは、死とリハビリテーションについて、経験者と意見交換することだと思います。
この分野に進もうと志される方の場合、「医療者としてのアイデンティティの書き換え」が必要になってきます。
終末期医療のゴールである「死について」その人なりに考えていく必要があります。
しかし、一人で考えるのはおそらく無理です。
できる方法もありますが、自身を延々と傷つける行為になりますので、ほぼ間違いなく体調不良になるでしょう。(経験者は語る。)
終末期医療の考え方は非常にシンプルです。
「患者様の選択性が尊重されているか否か、医療者が患者様をエゴで操作していないか」それに集約されますので、担当されているケースについて選択制が保証されているかどうか検討するだけでもだいぶクリアになると思います。是非試してみてください。
仮説②まとめ
- 人の死は全てに平等で100%である
- にもかかわらず「死は敗北である」と捉えてしまうThが存在する。
- その場合患者様にとってのゴールである「死」はTh自身のアイデンティティの崩壊につながる。
- 当然死と向き合う(信念を自己否定する) ことに恐怖を感じ、介入に拒否的になる。
- 医療者自身のアイデンティティを書き換えるには経験者との意見交換が必要
- 自身のエゴではなく非常にシンプルな終末期医療の考え方と現在の患者様をすり合わせ、誰にでも必ず起こる「死」について向きあい、考えていく。
ざっくりまとめるとこんなところでしょうかね。
FB等でご意見いただければ幸いです
つづきはまた、近日中に。
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藤田
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