終末期・緩和ケアを専門とする作業療法士のブログ~死について、もっと前へ…~

終末期・緩和ケア分野で働いている作業療法士の藤田と申します。日々の臨床で感じること、思ったこと今までの経験などを書き記していきたいと思います。終末期リハビリはまだまだ始まったばかりの分野です、意見交換できれば幸いです。

「がん患者は看たくない」と言う医療者が多いのは何故か?理由を知ればバーンアウトは減る?④~「学んでいないことを吸収する恐怖」~

こんにちは、終末期作業療法士の藤田です。

がん患者を看たくない何故そう思ってしまう医療者が多いのか?

理由を考えてみる記事…第④回になります。

kanwakea-fujita.hatenablog.com

 

前回は「死ぬ向き合うことの恐怖」と言う旨の記事を書きました。

kanwakea-fujita.hatenablog.com

 少し難しい話だったのかもしれません。

今回はもう少し等身大の内容「勉強していないから」について

仮説④学んでいないことを吸収する余裕がない

 

学校で終末期医療については学ぶことはほぼない

私は臨床10年目になりますが、学生時代を振り返った際に終末期分野について学ぶ機会はほぼなかったと感じております。

改めて教科書を開いてみたところ「1/2ページ」くらいしか書かれていませんでした。がん分野なんてせいぜい2行ぐらい。

そして、10年後…新人Thに聞いてみても、まだまだ授業ではさわり程度だそうです。

そんな中で急に「がん患者を診ましょう」と言われても、漠然とした「がん=死」のイメージが強く、拒否感を感じる…と言うよりは「勉強していないから、不安」であると捉えるのではないでしょうか?

そして各セラピストはそれぞれの学びたい分野で精いっぱい…なかなか吸収する余裕がないのかもしれません。

 

ところが

では興味のあるThならしっかり吸収できるのかと言うとそれはまた別の話です。

私自身、実際に相談を受けることもありますし、「終末期を学びたい」と話されることも多いですが、同様に私の言う内容を「難しい」と話されます。

「頭ではわかるが、分からない」結構な方に言われます。

別に「何でわからないんだよ!」と怒るのではないのですが…難しいらしいです。

前回書きましたが、終末期医療と言うのは非常にシンプルな構造になります。

終末期医療の考え方は非常にシンプルです。

「患者様の選択性が尊重されているか否か、医療者が患者様をエゴで操作していないか」それに集約されますので、担当されているケースについて選択制が保証されているかどうか検討するだけでもだいぶクリアになると思います。是非試してみてください。

シンプルすぎて、やろうと思えば簡単にできることです。しかし、何故拒否感を抱き、吸収することが難しいのか?

 

「形にならないものを評価することへの恐怖」

恐らく、こういうことだと思います。学生の時点で数字の評価を重点的に学ぶと思いますが、終末期の分野はそれから逸脱するためなのではないでしょうか?

現在QOLの評価バッテリーを研究されている方が非常に多いですし、私も一時期傾倒したことがありました。しかし現在はしていません。

理由としては「数値化することで安心するのは大半は医療者」だからであり、患者様の個々のナラティブに沿ったものになりにくいからであると考えます。

ある意味デスカンファレンスと構造が同じなのかもしれません。

kanwakea-fujita.hatenablog.com

そういう意味では上記の「形のない・学んでいないものへの恐怖」を癒すものは数字なのかもしれませんね。

 

ではどうすればいいか?

これに関しては数字意外の評価に実感を持つことなのではないでしょうか?

例えば

初回評価の時に患者様が何を感じるか?実際に体験してみる。

右も左も分からない中でいきなりリハビリ室に連れてかれ、初対面の人に体をいじくられる。

コミュニケーションでよく使われる「オウム返し法」を実際に体験する。

自分より年下の人間に「かわいい」と言われる。

等々…体験した上でどう感じたか、それが「形にならないものの評価」の第一歩なのかもしれません。

それを行うことは言うなれば自分の根柢に眠る「差別」と向き合うことになります。

 

向き合えた方は、この分野を吸収する準備ができているのだと思います。

 

まとめ

  • 現在のリハビリ教育の場面で終末期分野は未だ発展途上である。
  • その為、知ろうにも知る機会がない
  • そして数字にならない評価を信じることができない
  • しかし数字に傾倒すると、癒されるのは医療者ばかりで、患者様への直接的なアプローチにはならない。
  • 数字にならないものを評価するためには実感が必要
  • 普段医療者が当然のように行っている言葉や対応を、実際に受けてみてどう感じたか、それがリアルな「形にならないもの」の評価である。

 

そうなると結局毎回同じ話題になりますが、なぜ、目に見えないものに恐怖を感じるのか?ロックのかかっている部分への自己分析であり、対応方法を模索することが「学ぶことへの恐怖」への対応になるのかもしれません。

 

9がつの講習会ではそう言った部分への評価についてもお話しできればと思います。

 

藤田

 

終末期リハビリテーション講習会はこちら

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