こんにちは、作業療法士の藤田です。
「デスカンファレンスは何のためにやるのか理解できない、ただの傷のなめ合いに意味はない」
そんなことを同業者(終末期リハビリを分野にされていない方)に言われたことがあります。
一理あるなぁとも思いました。
そもそもデスカンファレンスはなぜ行うのか?諸説ありますが、藤田の感覚だと
- 「入院から終末までの経過の再確認」
- 「感情の吐露の場」
- 「介入方法が適切であったのかを検討する場」
おおまかにこの3つなのかなと思いました。
上記同業者は主に2に違和感を感じられ「医療者は強くあらねばならない」とのことですが、これに関しては終末期リハビリにおいては禁忌であると思っています。
人の死と向き合う以上どうしても感情的な部分は気持ちとして表出されますが、それを上記「強くあらねば」というある意味「旧時代的な風習」が足を引っ張り、結果としてバーンアウト(燃え尽き症候群)となる場面を何度も見てきました。
「感情を自身で処理できないスタッフのための場としてデスカンファレンスは機能している」という解釈でも良いのかもしれませんし、それは弱さではありません。
患者様をきちんと「他者」としてとらえたから、きちんの「生命を肯定しようとした」からこそ、感情の吐露が必要なのだと思います。
次回はデスカンファレンスに藤田が望むことについて。
死について、もっと前へ…
藤田
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