自身のバーンアウトの傾向を知る
こんにちは、終末期作業療法士藤田です
前回バーンアウトについて書かせていただきました。
kanwakea-fujita.hatenablog.com
先日、私自身が「ああ、これが燃え尽き症候群の形なのか」と経験する機会がありましたので、体験談として記載したいと思います。
先日担当患者様が逝去されました。
以前担当をし、自宅退院までお手伝いをした関患者様であり、今回は検査入院ですぐに退院予定だからリハビリはないとのこと。
いつもの流れで、顔だけ見に行き「早く帰りたいよ~」とにこやかにされていました。
翌週の月曜日、お部屋に伺おうとしたら「ケア中」の札が、清拭か着替えかなんかだろうとそのまま御挨拶できずに素通りしました。
翌日お部屋に名札はありませんでした。
ケア中の札は「エンゼルケア」中だったわけです。
正直、悲しさと後悔でいっぱいになりました。あまり仕事に感情を持ちこむ方ではないつもりだったのですが(持ちこむと自身のストレスが増大するため)この時ばかりは胸が詰まる思いでした。
そして「バーンアウトはこんな感じで起こるのだろうか?」と感じました。
落ち着いたのち、自分はどのような負担を感じたか、分析することにしました。
どのようなストレスを感じたのか・・・?
ざっと分けると
① 担当ではなくても前の日にカルテを見るなどの情報収集をしておくべきだった
② 病棟スタッフに状態を聞くべきだった
③ なぜ病棟スタッフは亡くなられたにもかかわらず声をかけてくれなかったのか?
④ まぁ明日でいいか?と手を抜いてしまった
自分にとってのストレッサーはおおまかにこの4点かなと思いました。
終末医療、緩和ケア分野に携わる場合、自身の感情的な面と向き合い、自己分析することが必要になります。
まずは自分のバーンアウトパターンを知ることの重要さを感じました。
そして分析をしてみると自身のストレスの傾向は恥ずかしい話ですが
「患者様目線ではなく、自分本位な感情の部分でストレスを感じる」
という結論になりました。
「自分が」カルテや情報収集をしなかったから
「自分に」声をかけてくれなかったスタッフへのいら立ち
「自分が」明日でいいやと判断した。
全てにおいて「患者様」が入っていないことに気づきました。
まず、自分は元担当であって現担当ではない。
これは患者様にとってRhの必要性は少なく、導入しないことでより適切な医療行為が行われるとDrが判断したことであり、それに対して「自分が何もさせてもらえなかった」という藤田自身の我儘の部分であったと解釈できました。
乱暴な表現をすれば「自身のリハビリをゲーム的・もしくは作品的にとらえてしまい、終末期リハビリの本質である『個人の尊重』をないがしろにした」ということです。
我々医療職の人間は「人によいことをしてあげたい」そういう思いでこの仕事を選びます。
しかしそれは場合によっては「病人を自分の都合の良いように操作したい」ということにもつながりかねません。
そして自分の都合のいいように操作できなくなったことでバーンアウトが起こる…
私自身、分析した結果こんな身勝手な考えで患者様を見ていたのかと感じ。
心底申し訳なく感じました。
そして、そのように考える機会を作って頂いた患者様に感謝の気持ちを持たねばと思いました。
同じように「自分の都合のいいように進まなかった」ことがストレッサーになり、バーンアウトに繋がる方も多いかもしれません。
今回の経験で終末医療・リハビリテーションに携わる人間は自己分析が必須であると感じました。
私が言えたことではありませんが、是非自身を振り返る機会を作って頂ければと思います。
藤田
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