仕事を休むことに罪悪感が生じることはないですか?
こんにちは、終末期作業療法士 藤田です
先日体調不良を起こしてしまい、一日仕事を休みました。
体調管理はしっかりとしないといけないなぁと改めて反省しました。
おかげさまで元気になったんですが、ふと思うこと・・・。
仕事に出ると何となく患者様への足取りが重い「お休みありがとうございました」と患者様やスタッフに伝えることに抵抗感・罪悪感を感じる…。
そのような経験をされた方も多いのではないでしょうか?
終末期医療・緩和ケア分野の医療従事者にとってのバーンアウト(燃え尽き症候群)の原因として
「自身のキャパシティを超えたケア・労働をしなければいけないと感じる」
少なからずあると思います。逆によく言われるのが
「自分の具合が悪くても、患者さんのために頑張らないといけないよな」
…個人的に20代の医療従事者に聞きたいことなんですが
こういった旨の話って先輩スタッフに言われたことありませんか・・?
私は結構経験があります、世代間の考え方の違いを象徴する言葉なのかもしれません。
話を本題に戻しますと
「自分が頑張らないと患者様が悪くなる」
「自分がやらなければ治すことができない」
「休むことは仕事として負けである」
このように感じてしまうセラピストの場合、終末医療に携わるとバーンアウトは起こりやすいのではないかと思います。(私にも思い当たる経験があります。)
厳しいことを欠きますと、これら「自分がやらなければならない」の心理的構造は以前もお話した「医療者の満足の為」の言葉であり、実は「患者様の為」ではないのです。
乱暴な表現を使って意訳すると
「身を粉にして患者様を思う自分かっこいい!」
となるわけです。
決してそのような考え方を否定するものではありませんが、この考え方については終末医療に携わる場合危険信号がともります。
冷静に考えてみれば
「自分がいなければ患者様が悪くなったり治療が遅れる」
そんなことが一介のリハビリスタッフや医療従事者に本当にあるのでしょうか?
仮にそうだとしても「一人のスタッフに全てを委ねる」というのはチームアプローチと言えるのでしょうか?
そして「顔色が悪く辛そうな顔をして自分に関わる」スタッフを患者様は望んでいるのでしょうか?
仮に自分の立場だったら、「自分のことはいいから、先生休んでいて下さい」と思うのではないでしょうか?
以前、患者様との関係性に上下の構造、差別的な感性が生まれることは医療者として非常に危険なことであるということをお話しました。
kanwakea-fujita.hatenablog.com
「休むことは悪であり、頑張って患者様の為にリハビリをしていく!」これも実は上下の関係に繋がっており、終末期医療の分野ではおススメできるものではありません。
となると、根性論ではなく、より建設的な話をする必要があります。たとえば
「人間体調が悪くなることはあるので、休むことはある」ことはちゃんと患者様と共有が必要ですし
「休んでもトラブルにならないような関係性を患者様と構築する」
「一人が請け負わないように、カンファレンスなどで共有する」
そういった行動をとった方が、医療者・患者様にとってより良い医療に繋がるのではないでしょうか?
終末期分野にてより良い医療行為を行う際にはより一層の自己分析が必要になりますが
「仕事を休んだ時、患者様に対してどのような気持ちになるのか?」
罪悪感から目をそむけずに、冷静に評価することも自己分析の一助になると思います。
死について、もっと前へ
藤田
終末期リハビリテーション講習会情報はこちら↓
kanwakea-fujita.hatenablog.com