デスカンファレンスに参加します。
本日スタッフの方から連絡がありました。
来週デスカンファレンスに参加させていただくことになりました。誘っていただけたことを大変うれしく思いました。
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デスカンファレンスと言っても、場の雰囲気や、取り仕切る方の心情、参加者が議論になれているかなどで構造は大きく変わります。
勿論傷をなめ合う会となったとしてもそれはそれで必要なのだろうなぁと思いますが
未来永劫分らないことですが、少なくとも私のナラティブの中では、意味のある会にしていきたいと思います。
1月29日に講習会があります。
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自己実現に対して医療者は何ができるのか?患者様のリアルな感情を共有しながら、患者様がより良い最期を迎えるための 力になることができるよう、意見交換のできる会にできればと思います。
ご興味のある方はご連絡よろしくお願いします。
終末期・緩和ケアにおけるリハビリテーション講習会情報一覧
過去の講習会及び今後の講習会予定です。
過去に行ったものも希望がございましたらリピート開催したいと思いますのでご連絡ください。
FB はこちらから
https://www.facebook.com/profile.php?id=100009937009285&ref=br_rs
【最新講習会】
最新講習会は4月30日(日)です
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~過去の講習会~
2017年3月講習会
死生観についてディスカッションを行いました
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2017年2月講習会
面接技法についてのリピート開催を行いました。
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2017年1月29日
自己実現・自己分析へのアプローチについて
リハビリが行うべきことは「できてうれしいこと」へのアプローチ
であることについてお話ししました。
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2016年10月30日
スピリチュアルケアとナラティブアプローチ講習会
ストーリーとナラティブの違い、ナラティブアプローチによって起きる「リスク」とは?等のお話をさせていただきました。
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終末期・緩和ケアにおける初回面接法
基本的な面接の方法と、実際にされたらどういう気持ちになるか?をテーマにした講習会でした。
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医療者間の信念対立についての雑感
こんにちは、終末期作業療法士の藤田です。
ここ最近、色々なことについて考えることがありました、モヤモヤしている部分もあるのですが、筆を執りたいと思いました。
医療者間の信念対立について
ここ最近患者様との関わり方について「感情が伴うスタッフとの意見の相違」が目立つなぁと感じるようになりました。
私の治療の根幹は「患者様の選択と復権」であるのですが、他の医療者にとって必ずしもそれが全てではないようです。
例を挙げるとすると「転倒」リスクが伴うなかでそれでも頑張りたいという患者様の「スピリチュアリティ」を支えるのか「安全」を支えるのか…。
言うまでもなく後者は「医療者」を守る側面があるのですが、実際目の前で転ぶことに対しての抵抗であったり、患者様ご自身の「うまくいかない感情」をぶつけられる医療者の心理的負担を考えた場合に無闇に批判はできないなぁとも感じます。
そう言った中で患者様に対して「安全」を優先する、何ら間違いではありません。
ただ、「安全」の優先により「スピリチュアリティ」が侵される場面も多く存在します。
「私は人間ではなくなった」何度も患者様から聞いている言葉です。
これらは「どちらかが正しく、どちらかが間違っている」という話ではなく、患者様にとって我々が何かをしようとした行為全ては「全てが正しく、全てが間違っている」という非常にあやふやなものですので、どちらも肯定し、否定すべき考え方なのかもしれません。
しかし、それぞれの医療者のナラティブの中で確立された「医療とは・治療とは」が強すぎるあまり「信念対立」が起こり「どっちが正しいか?」の論争になってしまう。
言い方変ですが、勝ち負けになってしまい、ゆくゆくはバーンアウトにつながるのだろうと思います。
私自身、一つの意見に対して別の目線での考え方を言うことが多いのですが、それすなわち「意見の否定」ととられることも多いのかもしれません。
個々の死生観が伴う終末期医療では「意見の否定」=「個人の人格の否定」と捉えてしまいやすい構造にありますのでそりゃまぁ感情的になってしまうんだろうなぁと思いました。
もちろん本来の議論であったりカンファレンスであったりはそう言った意味合いを持つものではありません。そういう意味では医療者自身が終末期医療に向き合えるほどのSKILLを有していない、もしくは教育プログラムがないともいえるのかもしれません
ではどうしていけばよいのだろうか?
結局終末期医療を行う上で重要なトレーニングとなるものは「全ての物事を多角的に見ることができるか?」なのだと思います。
患者様が語るものと、医療者としての責務、患者様の死生観と自身の死生観の相違について積極的に議論していく必要はありそうです。
「自分の常識は他人の非常識」という言葉がありますが、そこをきちんと他人と共有していくことなのだろうと思います。
相違と私は書きましたが、上記の「安全」と「尊厳」にしても必ずしも違うものばかりではありません。
問題は患者様のナラティブを見ないで、医療者の考えを押し付ける行為、そして患者様の言葉を「精神疾患だ」「認知症だ」とうわ言のようにつぶやいて、自己を安定させる行為なのです。
我々医療者としてするべきこと(仕事としての病院のルールであったり、自身の仕事に対するモチベーションであったりするもの)を放棄するのではなく、
それを患者様やご家族様、勿論医療者間できちんと共有する、その上で患者様と話していく。すり合わせていく。考えの違いを医療者のフィルターにかけずに表面に出す。
線引きを「一緒に知る、作る」ここが重要なのだと思います。
毎回私の記事のオチは「医療者の押しつけのエゴではなく対話」と言う風に描くのですが、これはむしろ医療者間にこそ必要なのかもしれません。
職種として、自身の掲げる医療の定義、やりたいことも含めてきちんと情報を出し合うことなのだと思います。
そう言った議論は自分の否定になる、やりたくない、興味がない人が多いことも事実ですが、せめて、興味のある方、信念対立で悩まれる方が破滅の意味でのバーンアウトをたどらないように、我々先人は場を作っていく必要があるのだと思います。
特に終末期医療の場合、介入に自身の死生観・信念が色濃く表れることがあります。
前回の講習会で、全てのナラティブは等しいというお話をさせていただきました。
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終末期医療に携わる全ての意見には間違いはありません。
私にとっては医療におけるリスクであると捉える「押しつけ医療」も提唱する人にとっては自身のナラティブなのでしょうから、それも間違いではないのかもしれない。
それぞれの思うことを、他人の否定や攻撃の道具ではなく、話し合えるようにしていきたいですね。
すこし難解な話になってしまいますが、それだけ議論が必要な分野なのだと思います。
しかしそれらを行う場所は「カンファレンスではないなぁ」とも感じました。
カンファがいけないのではなく、業務の枠の中に詰め込めるほど軽い内容ではないからなのだと思います。
幸い私は常日頃職場の後輩や講習会で出会った方々、そして私の師匠や恩師とそう言う話ばかりできる環境にいるので、自然とそう言った目線になることができます。
終末期リハ自体が人口の少ない分野ではありますが、今後学校などで「他人のナラティブを知る」授業なんかが始まれば、この分野はもう一歩先に進めるのかもしれません。
現実的には難しいと思うので、せめてこういった話し合いの場として私の講習会は機能させていきたいなと感じます。
最期の最後で宣伝みたいになってしまいましたが…。
第3回 終末期におけるリハビリテーション講習会は1月29日です。
終末期緩和ケアのリハビリテーション講習会はこちらから
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藤田
【講習会情報】「自己実現へのアプローチ」 終末期リハにおける「自己肯定」「自己実現」とは何か?
こんにちは、終末期作業療法士の藤田です。
12月に入りました、寒くなりますが、皆様ご自愛ください。
さて、次回講習会の日程が決まりましたので報告します。
終末期・緩和ケアリハビリテーション③
「自己実現へのアプローチ」~終末期リハにおける「自己肯定」「自己実現」とは何か?~
日時:
平成27年1月29日 10:00~12:00まで
(講義の進行によって1時間程度の時間延長の可能性あり)
場所:
未来創造スペース~MIRAI AGEO~
http://coworkingcafe-mirai.com/access/
〒362-0035
埼玉県上尾市仲町1-7-27
アークエムビル7F
JR上尾駅より徒歩1分 駐車場完備;8台
通常1時間400円⇒当店利用で1時間100円
参加費 3000円
定員:6名
以下概要になります
終末期リハビリ、何となくのイメージはつくような気がするけれど…
実際何を行えばよいのかわからない!…そう思ってしまいませんか?
教科書や文献に乗っている「自己肯定」「自己実現」とはどういったものだろうか?
何となくのイメージが先行しがちな終末期リハビリテーションについて
この上なくリアルな患者様の感情を知り、考え、悩みながら死の臨床に向き合いましょう。
【こんな方にオススメ】
・終末期の患者様を担当するにあたってどうすればよいか分からない
・患者様とのかかわり方に自信が持てない。
・患者様に寄り添ったリハビリを提供したい。
・より患者様目線で医療を提供したい。
終末期医療に必要不可欠な「ナラティブ」を中心に、ロールプレイを交えながら「この上なくリアルな」患者様の心情を経験し、何が必要なのか考えてみましょう!
【内容】
・自己肯定感とは何か?
・自己実現は誰の為なのか?
・具体的なアプローチ方法
・実際に聞かれた患者様のリアルな感情
・ロールプレイ実習等…
翌日の臨床で使える実践的な終末期リハビリテーションについてお話しします。
前回の講習会でリクエストのあったテーマです。
我々が良く使う「自己実現・自己肯定」とはどういったものなのか?
そして、それを臨床に活かす手段である「共有化」とはどういったものであり、どのような方法で行うものなのか?
医療者の独りよがりにならないための終末期リハビリテーションについてお話しできれば幸いです。
ご希望の方はこちらの申込フォームからよろしくお願いします。
http://sinka-body.net/kousyuu.html
藤田
「最期の時間にみんなで写真」その時間は誰の為?
こんにちは、終末期作業療法士の藤田です。
先日、長きにわたりお世話になった患者様が逝去されました。
私が今の職場に入社してすぐに関わり、退院から終末まで、関わらせていただいた方でした。
私自身が講習会をすること、その方とのリハビリのエピソードを話していきたいことを快く了承して頂き、応援して頂いた方でした。
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亡くなる前日、Faの方に呼ばれました。患者様は朦朧とした様子で、私の言葉がどこまで伝わったかはわかりませんが、講習会がうまくいったことを伝えると腕を上げて「よっしゃ~」と言ってくださいました。
そして、関わったスタッフの皆で写真を撮ることとなりました。
最期の時間なのだから、できるだけ笑顔で…なんて思って撮影し、翌日亡くなられました。
その出来上がった写真を見て思ったこと。
「この『写真を撮る』行為ははたして誰の為だったのだろうか」
その写真の患者様の顔は、私の知っている患者様とは違う顔でした。4年間、苦楽を共にした方と同じ顔の様には正直、感じませんでした。
当たり前と言えば当たり前です。
そして、いい顔をした我々医療スタッフとご家族様。
おそらくこの行為は
「患者様との離別を受容しきれない家族や医療者…他者の為のもの」
なのだろうと思いました。患者様の良い時間なのではなく、我々第三者の癒しの為。
遺された我々がまた生活を行っていくための儀式のようなものなのだと感じました。
ある意味では、医療者や家族のためのリハビリテーションともいえるのかもしれません。
こういった作業は終末期医療の場面ではよくあります。
しかしそれに対して我々医療者は「患者様のために良いことをした」と錯覚してしまうことも多いのではないでしょうか?
我々の癒しのために患者様が残りの時間を使わさせていただいたことに感謝の気持ちを持ちたいと思います。
しかし、考えるべきことは、これら「別れを乗り越えるための作業」は
必ずしも「患者様のための行為」ではないのだろうということです。
最期の時間をスタッフや家族に囲まれて患者さんは嬉しかった「かもしれない」
最期の時間を第三者のエゴに付き合わされてご本人は向こうで怒っている「かもしれない」
勿論真実は誰にもわかりません、唯一答えを知っている患者様は向こうに行ってしまわれたのですから。
わからない以上、医療者の都合の良いドラマチックな目線だけで物事は判断できないこと、他人の人生や感情を完全に理解することは100%不可能であること。
そして我々医療者が患者様を「弱者」とみなし、他人を操作することに酔ってしまう事についても考えていかなければなりません。
そして他人の分からない感情を恐れ、悩みながら関わっていくことこそが終末期医療を行っていくうえでの最低条件なのだろうと思いました。
こういった話をすると、よく「藤田さんはよくやったよ、患者さんはきっと喜んでいるよ」と励まされることがあります。
そういう肯定し合うことを悪いとは思いません。必要なことだと思います。
しかしその会話は誰の為だろう?
医療者目線は重要ですが、その場の気休めでその場にとどまることに、患者様は喜んでくれるのだろうか?
永遠に答えは出ませんが、それでも人の命と、生き方と関わりたい方は是非意見交換しましょう。
終末期緩和ケアのリハビリテーション講習会はこちらから
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藤田
講習会へのご参加ありがとうございました
こんにちは、終末期作業療法士の藤田です。
先日10月30日に第2回講習会が開催されました。
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参加者はOT2名 PT1名 Dr1名の計4名
終末期リハビリについて興味のある方が増えることはとてもうれしいですし、同志が増えることは私自身の癒しにもなります。
奥の派手なシャツの人が私。
テーマは終末期におけるナラティブアプローチ
昨今この業界でしきりに言われている言葉ですが、それがどういうものなのか?
そしてリハビリテーションの中で行うことでのリスクとは何か?
そう言ったことをお話しさせていただきました。
終末期におけるリスクとは「狂気」。
そして「狂気」とは、患者様ではなく医療者自身に発生するもの…。
この部分がピンと来たかた、興味を持たれた方は是非意見交換できれば幸いです。
講習会後は近くで食事をしながら意見交換会を行い、生の意見を多数吸収することができました、私にとって非常に有意義な時間となりました。
そして第3回講習会も開催決定です。
今回のテーマは
「自己肯定」「自己自己実現」「共有化」
このあたりをキーワードに行いたいと思います。
また、第一回講習会の面接技法についてもリピート開催をしていきたいなと思っておりますので、ご興味のある方は是非ご参加お願いします。
~終末期リハビリテーション講習会はこちらから~
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終末期医療と作業
こんにちは、終末期作業療法士の藤田です。
10月に入りました。
30日には講習会があります。ご興味のある方は是非ご参加ください。
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ふと、自分の臨床において、所謂「アクティビティ」を使うことって少ないなぁと感じました。
時々「折り紙と化する仕事でしょ?」と言われることがあります。
私自身手工芸が趣味なこともあり、行うこともありまし、やっていて楽しいんですが、個人的に「手作業」には落とし穴があるなぁと感じることがあります。
それは「果たしてそれは患者様が望んだものなのか?」と言うことです。
以前、こういった言葉を耳にしました。60代の男性
「もう歩けないことは分かるけど、このまま動けなくなりたくない、年寄りと風船つき合ったり、折り紙をすることで人生を終わらせたくない」
作業療法は作業を用いて患者様の心身両面の機能維持、向上を図るものではあるのですが、その前提として患者様の生活歴、ナラティブ(物語)、スピリチュアリティ等々そう言ったものをきちんと評価した上で適切な作業を提供するものですので
評価に合わせて介入を行う…所謂「普通のリハビリ(この表現はおそらく適切ではない)」と同じです。
歩くことに自身の残りの人生を賭けたい方に対して、折り紙を折らせることは、
上腕骨骨折の方に歩行練習を行うようなものです。
我々リハビリ職の人間は身体機能はしっかり評価できますが、こういった生活歴の評価は苦手なのではないでしょうか?
そして終末期医療におけるもっとも難しいであろう分野はここなのだと思います。
逆にとある患者様。70代女性
「残りの時間、何かをしたい。歩くのではなくて、『私らしいことをしたい』」
この方には折り紙を行いました。この作業についてどう思われたのかは永遠にわかりませんが、少なくとも事実として最期までリハビリはさせていただけました。
この方にとっての「私らしいこと」が折り紙だったのかは不明ですが、対話の中で得られた(評価した)情報をもとにリハビリプログラムを提案した形です。
本来そう言う形になってしかるべきなのに、ついつい「良かれと思って」が先行することが多いのではないかなと感じます。
「患者様の言いなりになってはいけない」という言葉も聞きますが、大切なことは「対話の中で決定していく」事なのだと思います。
少し尖ったことを書くとすると「医療者が患者様を支配したい」関係にならないこと、当たり前の話ではありますが、例によって
「『何かしてあげたい』の精神が『弱者はこうでなければいけない』」になってしまわないように…注意していきたいところです。
作業の場では取り扱うものが者なだけに特に関係性の変化が生じやすい(患者様を幼児扱いする場面に遭遇したことは非常に多いと思います。)からこそ、対話と評価、適切な作業の立案につなげていきたいところですね。
作業についてはまた詳しく書きたいと思います。
終末期リハビリテーション講習会はこちらから
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藤田。